【大紀元日本8月16日】中国陝西省のある山村が「癌村」として中国全土で知られるようになって6年も経つ。研究者が原因を調査し、「解決策」を出したが、地元行政府は「解決策」は文書として存在するのみで実行されず、調査結果が活用されていない。ある研究者は「私は単なる調査しただけで、科学的なデータから人の命に関る地質環境の悪化を人々に伝えることはできるが、根本からこの環境問題を解決するための社会環境の整備は、私たちの力でできることではない」とため息を漏らす。
陝西省華県瓜坡鎮の龍嶺村では、1974年に最初の食道癌患者が出て以来、30世帯154人中、59人が死亡し、そのうち36人が癌によるもので死者の61%を占める。癌患者がでなかった家庭は4世帯しかなかった。また、4世帯で家族全員が癌により亡くなり、それらの家に残されたのは、玄関に掛けられた大きな錠だけである。
中国国内で「生態環境における地質病気」を初めて提起した研究者の林景星さん(生態環境地質研究センター)は、龍嶺村の調査を三年間続けた。その結果 村民の日常の食糧と野菜のうち、ジャガイモとトマト以外の作物はすべて規準を超える毒素が含まれ、土壌から鉛やヒ素などの化学汚染物質が検出された。
汚染源は、1970年代初めに龍嶺村から4キロメートルほど離れたところに建設された化学肥料工場。この工場は毎日24時間休まず「毒煙」を排出し、「毒煙」は北西の風が吹くと龍嶺村がある秦嶺山脈方向に漂って来る。山脈で「毒煙」はブロックされ、龍嶺村に滞留する。
汚染源はわかったが、林さんはそれに対してどうすることもできない。当時、林さんは「癌村」の病因を調べ出すため、徹夜で1万字余りの報告書を書き、調査のための資金援助を当局に求めた。1年後、ようやく調査費を得て、サンプリング、化学検査などで経費がかさみ、汚染源の化学肥料工場を見つけ出した時には、調査費は尽きていた。「お金がなければサンプリングの化学検査ができず、龍嶺村の汚染源が化学肥料工場であることを証明するには十分な科学的な証拠が得られない。確信していても、科学は証拠がものを言う」と林さんは無念さを語った。
龍嶺村の人々は、死を待つか、村から逃げて行くか、選択を迫れられている。若い人や村を離れることができる人は、みな逃げていった。広々とした玄関には、50歳以上の老人だけが残された。この9年来、子どもも二人しか生まれず、学校も閉鎖された。
林さんは、今唯一できることとして、山地の農作物を食べないようにと龍嶺村の村民に繰り返し注意している。しかし、この農作物は村の経済源である。村民達は山地の農作物を食べることはないが、それを他の村に売ってしまうのだ。