北京オリンピックについて

2007/09/13
更新: 2007/09/13

【大紀元日本9月13日】北京で開催されるオリンピックまで一年を切った。現地では急ピッチで施設の建設が進み、日本のメディアでも鳥の巣を彷彿とさせる近代的な会場建物の遠景が紹介されることもある。中国が国威をかけて準備するだけに壮麗な開会式をはじめ各種競技が全世界に報道される日も近い。建国後60年余で世界の工場となり、空前の外貨準備を擁し名実共に世界の大国に成長した証として華麗な祭典が準備されているのであろう。国務院の領導達にとって感慨深いものがあろう。

日本も40数年前、東京オリンピックで戦後の復興をアッピールし世界への仲間入りを果たした歴史がある。私達日本人がオリンピックはとてつもない規模の巨大な運動会なのだという実感と共に、東洋の魔女と喧伝された女子バレーボールの試合にテレビの前で熱狂したものである。思い起こせば、当時の日本は高度成長の最中にあり、企業の国際化が本格的に始動した時期でもあった。

オリンピックは元々はギリシャの都市国家の間で行われていたイベントで、交戦国といえどもそのときだけは休戦して競技を行い、優勝者にはオリーブの冠と父親の名前告げる名誉が与えられた由であるが、ロサンゼルス以降,急速に巨大ビジネスの世界となり各国が国威発揚のため補助金や政府による選手強化をするのが至極当たり前になったようである。旧東欧の選手達が筋肉強化薬等を使用し、やがてドーピング検査が必要な事態になったようだ。勿論,ギリシャの時代ですら程度の差こそあれ人間のする事にはあまり差がないような気もするが。どの国がどれだけ金メダルを取ったとか、競合する国とのメダルの数を競うとかはあまり誉めた話ではないような気もするが、それでも日章旗が掲揚され君が代が流れると素朴に嬉しいと思うのも隠しようのない事実である。

オリンピックが露骨な国威高揚の場となったのは多分ベルリンからであろう。「民族の祭典」という名の記録映画は何度も見た記憶がある。おりしもドイツ第三帝国の絶頂期だったのだろう。ハーケンクロイツの旗が掲げられ一指乱れぬ整然たる行進や,右手を上げる敬礼等、今で言えばファッシズムもいいところだが、壮麗な式典は今でも覚えている程,強い印象を受けたものである。

翻って、北京オリンピックについては人権問題やダルフールの状況など先進国の一部からボイコットの動きもあるようだ。アフガニスタン侵攻で当時のソ連が西欧諸国からボイコットされたのも記憶に新しい。現在の中国は,公害問題初め、施設建設に際しての強引なやり方、情報統制等各種の問題が山積しており果たしてオリンピックが開催されるのか疑問視する向きもあるようだが、そこは中国のこと、如何なる犠牲を払っても強行するだろうし、そのためには手段を選ばぬであろうことも確実である。しかし、考えて見ると何も悪いことだけではなさそうだ。オリンピックが開催されると、ことの是非はともかく、世界中から大勢の観光客とメディアが訪中し、無数の情報が発信されることとなる。

如何に悪名高い公安が統制しようにも、インターネットや携帯電話が普及した今日、中国当局が情報を徹底的に管理する事は最早不可能になるであろうし、中国の1億を超える「憤青」と称されるネチズン達も傍観しないであろう。「老百姓」と言われる噂話を得意とする無数の庶民達も各種の情報を入手し口コミを通じて更に情報を広めであろう。その結果、いやおうなく中国は急速に変化せざるを得まい。

内憂を外患に変える御家芸もブーメラン現象や諸般の事情で左程の効果は期待出来ず、人民解放軍の強硬派が先走ろうにも世界経済の歯車に組み込まれた中国経済の実態を考えると台湾侵攻なども所詮絵空事になってしまう。つまり、中国共産党の成果を誇示したい国務院の意向や目的とは別に、オリンピックが中国民主化の真の出発点になるであろうことは先ず間違いなかろう。良きにせよ悪しきにせよ北京オリンピックは誰も成し得なかった中国民主化のターニングポイントになるのではなかろうか。そうなれば天国のクーベルタン男爵もさぞ驚かれることであろう。