在日中国人女性、中国の家族が受けた迫害を証言

2007/11/28
更新: 2007/11/28

【大紀元日本11月28日】日本在住の法輪功修煉者・周金華さんはこのほど、中国にいる家族が当局から迫害を受けている実情を明らかにした。以下は周金華さんの証言である。

私と妹は、1996年6月から法輪功の修煉を始めた。当時、私の心臓は悪く、慢性胃炎に苦しんでいた。妹も萎縮性胃炎を患っていた。半年後、私たちは病院で再検査を受けたが、医者も驚くほど著しく改善した。そして、母と弟も相次ぎ法輪功修煉を始めた。当時、母の頭部には一つの凹凸部があり、そこにドライの風が当たっているかのように感じ、いつもブンブン響いていた。時には激しい頭痛に苦しまれた。法輪功を習い始めてから間もなく、これらの症状が著しく改善、持病の腰椎椎間板ヘルニアもほぼ完治した。

1999年7月20日から、中国当局は法輪功への集団迫害を始め、全国のメディアが法輪功は邪教であり、皆殺人者、犯罪者であると、詐欺宣伝を繰り広げた。家族の中で唯一修煉しない父は、これまでの中国当局の様々な弾圧運動を体験してきたため、強い恐怖感を覚えていた。公安警察が頻繁に自宅に現れ、私たちに修煉の放棄を強要し、父に対し、私たちの修煉を止めさせるよう脅した。父はそのときから、極度な緊張状態に陥り、「共産党の怖さは、あなたたちは知らない」「もう、これからの生活は大変なのだ」などの言葉を繰り返すばかりだった。2ヶ月後、父は自転車を乗っていた際にバスと衝突、一時は植物状態に陥り、その後、意識が戻ったが寝たきりになった。

2000年10月、弟は法輪功の無実を訴えるため、北京に出向かい、中央指導部への陳情を試みた。すぐに警察に地元に強制送還され大連市看守所などに監禁された。後に、警察が家族に5千元(約8万円)をゆすった後、弟を釈放した。翌年7月、警察らが父が入院していた病院に現れ、看病していた弟を理由もなく逮捕、某ホテルの地下室に強制連行した。そこで弟は様々な拷問を受けました。頭からし尿を被せられたり、タバコの火を太ももに押し付けられたり、ベルトで鞭打ちされたり、肋骨を強く擦るなどされた。最後、母が警察に3千元(約5万円)を渡し、弟を連れ戻した。

妹もこれまでに4度にわたり逮捕・監禁された。2002年逮捕された際に、その一人娘はわずか4歳だった。妹の夫も法輪功修煉を放棄しないため、そのとき、強制労働収容所に監禁されていた。その娘は毎日私の母に、「おばあちゃん、ママに会いたい」「ママが欲しい、パパが欲しい」などと泣き叫んでいた。

後に、妹は2002年大連市労働教養院(強制労働収容所)に監禁中の処遇について、詳しく説明してくれた。それによると、監禁されていた法輪功修煉者は毎日、法輪功とその創始者を誹謗中傷するビデオの視聴を強いられていた。食事は、カビが生えた饅頭と、砂が混じる野菜。法輪功の修煉を放棄しない人は、特殊の籠(かご)に投じられる。その籠は、直立することもできず、座ることもできないように作られている。女性に対しては、長い棒で生殖器を突いたりする。このような状況において、妹は抗議するため絶食を始めた。80数日間が経過したとき、すでに脈がなくなった。警察が彼女を大連市中心医院に運んだ後置き去りし、母に知らせた。後に、母は治療費を払い、妹を自宅に連れ戻した。

その後、警察も絶えず自宅に現れ、家族を脅迫していたため、弟と妹は相次ぎ家を離れ、放浪生活を始めた。

中国国内では、当局の詐欺宣伝により多くの国民は法輪功をひどく誤解している。妹は放浪中にも、法輪功の無実を周囲の人に伝え続けた。今年3月19日、市民に迫害の真相を明かしていた妹は通報され、再び逮捕された。いまは、遼寧省の馬三家・労働教養院(強制労働収容所)に監禁され、3年の刑期が科せられている。

年老いた母は今年4月に妹に面会できた。そのとき、妹は母の問いに言葉を返せず、ひたすら黙々と泣いていた。髪の毛がクシャクシャに切られて、体が大きな綿コートに包まれ、唯一露出していた手は、指先の皮が激しく剥がれ、縛り付けられたような傷があり、赤く腫れていた。その後、母は二度目の面会に訪れたが、会わせてもらえなかった。同行する3人の友人は警察から殴る蹴るの暴行を受け、強制連行された。そのとき、妹の娘も現場で一部終始を目撃したため、恐怖のあまり、大泣きしてしまった。

68歳の母は寝たきりの父の世話をしながら、8歳の孫娘の面倒もみなければならない。そのような状況においても、警察による嫌がらせが絶えなかった。心労のあまりか、今年5月29日午後4時ごろ、母は脳溢血をおこし道端に倒れ、病院に搬送されたが、こん睡状態が続いた。私は帰国することもできず、なにもできなかった。見かねた隣人はわが家族の惨状を現地政府に再三に伝えたようだが、実質的な補助を得られなかった。6月23日、母は帰らぬ人となった。最期を見届けた友人によると、母は、子供たちに最後に一目会いたかったという。

妹が釈放されるまでに、私は救援を呼び続けていく。これは母の遺言でもあろう。各国政府や、国際人権団体などに対し、妹のように中国当局に迫害されている大勢の法輪功修煉者を無視せずに、中国当局に正義の声を発し、その迫害を一刻も早く制止することを心から願っている。

 (翻訳/編集・叶子)