【大紀元日本1月13日】2日に死去した香港の民主運動の指導者・司徒華氏(享年79歳)および香港の民主団体「香港市民支援愛国民主運動聨合会」(略称・支聨会)が、1989年中国当局に武力弾圧された学生民主運動「六・四天安門事件」のリーダーたちを救出した一部詳細について、香港紙が報じた。司徒華氏は過去20数年間、本件について「支聨会」の関与を語らず沈黙し続けていた。
民主運動の精神リーダーと称えられた「支聨会」の司徒華・主席が死去した2日後の今月4日に、香港紙・明報は昨年10月に病床についた同氏への取材を報道し、一面を使って当時同氏と「支聨会」による学生リーダーへの救出活動、名づけて「黄雀行動」の一部詳細を伝えた。明報によれば、取材時、「支聨会」の常務委員・張文光氏も現場に居合わせ、張文光氏や救出活動当時の「支聨会」の副主席だった朱耀明氏も取材の内容を確認した。
司徒華氏はこの取材で次の経緯を明らかにした。
1989年6月4日、中国当局は学生民主運動を武力弾圧し、学生リーダーたちを全国指名手配した(注、六・四天安門事件)。司徒氏のもとに、一人のポルトガル国籍の警官から、リーダーの一人であるウアルカイシさんが中国広東省の珠海市に身を隠しているとの情報が寄せられた。司徒氏はすぐに救出を手配し、現職の立法会議員・李永達氏に仲介役を頼み、60万香港ドル(約650万円)でウアルカイシさんを闇ルートで救出した。翌日、ウアルカイシさんはフランスに飛び立った。
司徒華氏によると、学生リーダーの柴玲さんと封従徳さんが香港に脱出すると、彼はすぐに現職立法会議員の張文光氏に出迎えさせ、そして、駐香港のフランス総領事館の協力のもとで、2人をフランスに出国させた。
今回の取材での司徒華氏の話によると、「支聨会」の当時の幹部が、国外に脱出できた学生リーダーたちの滞在許可や政治避難などをも支援していた。
取材では、司徒華氏は依然として、「黄雀行動」に費やした資金の額を明らかにしていないが、救出対象の交通費、食費、宿泊費、旅費および初期の国外での生活費全般は、「支聨会」が負担していたと証言した。
「支聨会」の蔡耀昌・副主席は4日米VOAの取材を受け、明報が報じた支聨会の関与と「黄雀行動」に関する内容は事実に基づいているとコメントした。
これまでに、司徒氏は外部に対し、自分自身および「支聨会」の「黄雀行動」での役割について一切語らなかった。2009年、「六・四天安門事件」20周年の直前に、同氏は米VOAの取材を受けた際も、依然としてコメントを避けていた。当時、同氏は、「時期がきたら、われわれは詳しく話す。いま言えるのは、すべきこと、そして、できることを実行してきたということだ」と語った。
「黄雀行動」の陣頭指揮を取ったとされる香港の実業家・陳達鉦氏はかつて、「六・四天安門事件」20周年の追悼イベントで、同救出活動で約1千万香港ドル(約1億700万円)が費やされ、主に「支聨会」が提供した、などと語っていた。
一方、「支聨会」の蔡耀昌・副主席は、その資金は匿名の支持者からの資金提供であると話し、現在の政治状況において、「黄雀行動」の多くの詳細は依然として公開できない、と述べた。
司徒氏はガンと診断される前に、「黄雀行動」の詳細を記する回想録『大江東去』(大川は東に流れてゆく)の作成を表明していた。昨年、ガン闘病期間中に、同氏は家族に回想録の内容を口述したとみられる。現時点において、司徒氏の家族は口述内容に「黄雀行動」の詳細が含まれているかどうかを明らかにしていない。
情報によれば、「六・四天安門事件」発生後の9カ月間に救出された学生リーダーと民主活動家は100人を超す。また、救出にあたり、中国と香港の密航を請負う蛇頭組織や暴力団もかかわったとの説がある。
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