四川大地震3周年 中国人民主団体報告:地震に伴う核爆発の真相

2011/05/17
更新: 2011/05/17

【大紀元日本5月17日】政府の発表で8万人の死者を出した3年前の四川大地震。震央から最も近かったのは汶川県となるが、もっとも被害が深刻だったのは汶川ではなく、震央から汶川の2倍も離れた北川県。汶川県の建物倒壊率20%と比べ、北川県の倒壊率は90%以上に上り、地震による死傷率も50%以上で汶川の6%を遥かに超えていた。そこには隠された真相があるようだ。

3周年となる今月12日、米ニューヨークのマンハッタンで中国キリスト教民主党メンバー30数人が記者会見を開き、08年に発生した四川大地震についての調査結果を500ページ以上の調査レポートにまとめて発表した。これによると、四川省の深刻な被災は同省汶川県を震央とする地震だけが原因ではなく、北川県の地下で地震に誘発された核爆発が被災の拡大に拍車をかけたと見られる。同団体は中国政府に真相の公開を求めている。

四川省大地震の真相調査に関わった人たち

記者会見でまず、5.12の大地震発生後わずか数日で中国国内の民主活動家・郭泉氏が海外中国語ニュースサイト・博訊ネットに真っ先に疑問を提起したことに言及した。郭氏は政府に対し核施設の安全報告を公表するよう求めており、同氏が公開した書簡には四川省核基地の一連の部門名が列挙されていた。2週間後、同氏は逮捕拘禁され現在に至る。

その後、博訊ネットが陸士坤氏の『5.12地震は地下核兵器の連鎖爆発を引き起こした』と題する記事を発表した。

そのほか、民主活動家の黄_qii_氏や作家の冉雲飛氏、譚作人氏も、四川大地震の真相調査に参与したため、「国家機密の不法所持」や「国家政権転覆」などの罪名により刑務所へ送られた。最近失踪した中国を代表する現代芸術家・艾未未氏も四川大地震の真相調査に関わっていた。

北川県委員会の宣伝副部長の自殺

09年4月20日、四川省北川県委員会宣伝部・馮翔副部長の自殺事件は当局を戦々恐々とさせた。北川地震体験者で、地震で息子を亡くした馮翔氏は地元幹部として被災地に入り、被災状況を調査し現場の真相資料を掌握していた。その後、書籍『北川を回顧する』の編纂を主宰した。自殺する直前に、馮氏はブログで「私の死で一部の人はきっと大喜びするでしょう」などと意味深長な言葉を残した。

この事件からわずか5日間で、馮翔氏のブログ日記のアクセス数は100万を超え、書き込みは8千件を超えた。この書き込みで最も活躍したのは北川県のネットユーザーだった。馮氏のブログの多くの文章はいま削除されている。

『北川を回顧する』は出版前にもみ消され、その内容を検証することは出来ないが、同氏のブログ内容が削除される前に海外のキリスト教民主党のメンバーにより保存された。

馮氏ブログ08年10月14日『羌山の殤(夭折)』中の記載によると、同氏は北川「地震」を「草むらの中から昇る太陽」「大地が恐怖の咆哮を発し、谷間は巨大な手により無情にもみくちゃにされた」「地震発生後、北川県内の山では数万カ所が崩れ、土石流や地滑りが発生し、斜面には数キロにわたる裂け目が見える。25万軒が倒壊した」「巨石が墓石のように積まれ、土埃が墓を作っている」と、馮氏は地震の震央は北川県龍門山の100カ所の群山の中にあると漏らしている。

馮翔氏は08年5月17日、軍隊の幹部を引き連れ、被災状況の調査に赴いて

四川省山岳地域には多くの軍事工場、武器庫および核施設が存在する。新たな調査では5.12の大地震が北川県地下の核爆発を引き起こしたと報告されている。写真は地震が起きた山岳地域の爆発後の様子。現地村民は、「大きな山がまるで腹を切り開いたようだ。このエネルギーは非常に大きい」と話した(写真=大陸ネットユーザー提供)

いる。この部隊の番号は同氏ブログの中で25113(あるいは52113)から77289に直されている。ネットユーザー「李魁」は「馮翔ブログの大量の文章が削除された。北川人の自殺が誰の脅威になっているのか」と書き込んでいる。

馮氏の被災状況の細部の描写は、如実な暗示を作り出している。「草むらの中から昇る太陽」について、ある北川のネットユーザーは文字を何も書き込まず、ただ爆発の中のキノコ雲を描いている。

国内メディア「21世紀経済報道」の記者・楊磊氏は09年5月9日の報道で、「地震後、巨大な地下の轟音が耳元で鳴り続け、人はピンポン玉のように1メートル以上跳ね上がった、と北川人の陳進さんは話した」と伝えている。

四川省核工業に関する調査報告

中国の民主活動家で元南京師範大学副教授の郭泉氏は08年5月17日、中国当局に対し、四川省全域および周辺地区にある全ての核施設において直ちに放射能測定を行うことと、四川省核施設の安全報告の速やかな発表を促すための、公開書簡を発信している。

郭泉氏が設立した中国新民党の傘下に核エネルギー安全委員会が組織されており、四川省核工業に関する調査報告をまとめていた。報告では60年代中期にNPIC(中国核動力研究設計院、通称909所)が四川省夾江(県)基地に一連の核分裂反応の実験研究設備を建設し、原子力の実験研究を開始したという。

四川省は中国の重要な原子力研究・生産基地であり、NPICの夾江基地以外にも、中国工程物理研究院や中国空気動力研究発展センター、中国燃汽渦輪研究所など18の国防研究所の研究基地が入っている。

中でも、綿陽市にある中国工程物理研究院(通称902所)は中国核兵器の研究基地。前身は西北核兵器研究設計院(国防第九研究院)。

人民解放軍の総装備部中国空気動力研究発展センターも綿陽市に位置し、各研究所は安県の各鎮に位置している。

楽山核融合研究院(通称585所):前身は長春503所で、楽山県に位置する。

白龍江核基地:中国2番目の原子力生産企業。前身は甘粛省404工場で、1968年に四川省広元県に移転した。従業員は3万人。核弾頭を製造し、中国最大の原子炉製造所でもある。核兵器の主要成分プルトニウムの主要生産工場ともなっている。

221工場:中国初の核兵器研究基地である。1964年、初めての原子爆弾を開発した。1968年、青海省から四川省綿陽市の西南物理研究院に移転した。

814工場:楽山県に位置する中国3番目の原子力生産企業で、重水工場でもある。従業員は4万人。

857工場:四川省江油市に位置する中性子爆弾の製造工場。

5.12四川大地震が核爆発を引き起こしたという証拠

12日の記者会見では、大地震が引き起した核爆発の後遺症ともいえる証拠が提出された。

1.核汚染が人体に引き起こした反応

大地震後、馮翔氏は視力が急激に低下した。また、北川県の130人以上の妊婦の体内にいる胎児が死亡。都江堰の妊婦数十人の胎児が死産であった。

2.四川省農業大学・謝波氏は調査研究において、北川県の被災地区のブタの免疫力が地震後に急激に低下し、集団豚コレラが発生したことを発見した。

3.四川省医科大学と米イリノイ州立大学および英キングス・カレッジ・ロンドンの合同研究報告には被災地の一部生存者は大脳の一部機能を喪失していると記録されている。

4.地震後の被災状況分析によると、北川県の道路と電柱は全て破壊されている。しかし、1976年に発生した同じくマグニチュード8レベルの唐山大地震の時でさえ、道路と電柱は何の被害も受けていない。これは5.12の被災状況は、単に地震によるものではなく、爆発後の症状であることを物語っている。

5.中国メディアによると、余震中、一部の地域の被災者らは一晩中手を繋ぎ、人々は大地の振動で空中に1メートル以上も跳ね上げられていたと伝えられている。

6.中国地質局の地質報告は地震中に現れた「土石の溶融」について実証している。核で高温にならなければ、土石の溶融は起きない。これは、中国地質大学と国家リモート・センシング・センター(遥感中心)の黄庭氏、張志嘯氏などが作成した『リモート・センシングとGIS技術に基づく北川県地震時に生じた地質災害の分布特徴』を参考としている。

7.CNNによる北川地震の実況VTRの中では、地震発生時、土埃が舞い上がり爆発が絶え間なく続いていた。08年5月19日放送の約7分の映像でその様子が確認できる。このほか、YouTubeの地下核爆発VTRと比べた結果、北川地震が引き起した音と地表変化が地下核爆発のそれと似通っている。

記者会見で、中国キリスト教民主党は、「多くの事実に鑑みて、5.12大地震は単純な地質学上の地震ではなく、地震により地下の核兵器の爆発も引き起こされたものである。これにより、5.12大地震は人災が天災を上回っている」と結んだ。

(記者・李明/翻訳編集・坂本)