悲痛な表情をする新京報の社員ら(ミニブログ微博からスクリーンショット)
【大紀元日本1月10日】広東省の週刊紙「南方週末」の新年祝辞が当局に改ざんされた問題で、党中央宣伝部は7日、人民日報系の環球時報の社説転載を命じた。だが、北京主要4紙の一角を担う新京報は8日、宣伝部の命令を拒み、社説を載せなかった。同日夜、北京市の共産党宣伝部副部長の厳力強氏が新京報本社に乗り込み、環球時報社説の翌日掲載を迫った。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は9日、新京報社員からの取材実録を伝えた。以下はその訳である。
昨日(8日)の夜8時半ごろ、北京市の共産党宣伝部副部長・厳力強が我が社にやってきた。4階の会議室で話をしていた。その時は、まだこれが環球時報の社説と関係があることに気付いていなかった。
11時半ごろ、我が社の役員が、今日は12時半までには入稿しよう、遅れると、われわれの恥になるかもしれない、と話した。その時も、これはどういう意味なのかは分からなかった。
この時、4階会議室の党宣伝部からの来訪者はまだ帰っていなかった。役員らと環球時報の社説転載について談判していたようだ。
宣伝部幹部の態度は明確だった。9日には必ず掲載しなければならないという。われわれ新京報と瀟湘晨報は転載を指名されていた。
この会議はかなり長く続いた。2時間は超えていた。われわれは紙面を決め、会議室のガラス扉を通して遠くから中の様子をうかがっていた。
厳力強は北京市の共産党宣伝部部長の魯煒を代表して来たという。魯煒はさらに上からの圧力を受けているとも聞いた。だが、我が社の主要役員は、転載はしないと堅持し、ぴりぴりとした雰囲気だった。
戴(自更)社長と王躍春編集局長は共に、転載するなら辞職すると表明したことを聞いた。
12時過ぎ、騒ぎを聞きつけた記者たちも、続々と出社してきた。皆で事態の進展を見守った。
昨日は環球時報の社説を転載しなかったことに、皆、喜んでいたし、誇らしかった。あと数時間どうにか踏ん張れば、このことも収束すると思っていた。
しかし実際、この圧力は非常に大きいものだとわれわれも感じた。向こう(宣伝部)の指示は、全文でなくても、必ず転載しなければならないとのこと。
戴社長らはわれわれ記者や編集者が皆出社していることを見て、他の会議室に集めた。われわれの意見を聞いた。全員が「転載反対」との意思表示をした。皆で話し合いもした。転載しなければ、新京報とわれわれにもたらされる最悪の結果は何なのか、と。それは新京報が解散させられることだと事情の分かる人が言った。お上はどんなことでもしかねないという。皆は黙り込んだ。
午前1時半ごろ、印刷工場に入稿したが、工場は印刷停止との通達を受けていた。
これ(最終的に部分転載したこと)は妥協ではないと私は思う。われわれはできる限りのことをした。(泣)
戴社長は辞職するかどうかについて、私は社長を代表できない(ので、分からない)。社長と編集局長は、われわれ社員と話をした時は辞職に触れた。宣伝部幹部との会議でも口頭で辞職に言及した、と会議に参加した他の役員は話した。今後は新京報の役員にどのような異動があるのかは、われわれも誰も分からない。
ずっと会議室の外で見ていたから、役員らが深刻な表情をし、現場の雰囲気が非常に緊張していたのが分かった。
われわれが環球時報の社説を転載しなかった理由は、この社説は理屈に合わず、良心にも合わず、新京報の一貫した方針にも合わないからだ。
そもそも南方週末のことは新京報とはそれほど関係のあることでもない。この件を評論する社説の転載を拒否しただけで、これほどの難を被ったことには理解できない。新京報がこれまで毎日受けてきた禁止令、検査、抑圧はまだ少ないというのか?彼らにとって、新聞社を潰すのはアリを潰すのと同じぐらい容易いことだ。
◆中央宣伝部が全国の主要メディアに転載を命じた環球時報の社説は、南方週末の書き換えは、広東省宣伝部はやっていないと主張し、「メディアは中国の『政治特区』になってはならない」「中国でメディアが政府に対抗すれば、必ず敗者になる」などとメディア統制の正当性を強調した内容になっている。
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