8年間に及ぶ裁判の結果、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年~95年)でセルビア人勢力の指導者だったラドヴァン・カラジッチ被告(70)に対し、オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)は禁固40年を言い渡した。
法廷では、起訴された11項目の罪のうち、イスラム教徒7000人(一説には8000人)以上が虐殺された95年のスレブレニツァでのジェノサイド(集団殺害)を含む10項目の罪が確定した。
同被告は95年にICTYから指名手配を受け、13年間に及ぶ逃亡生活の末、08年に逮捕された。
旧ユーゴスラビア解体後、同国から独立したボスニア・ヘルツェゴビナで民族間の内戦が始まり、各当事者は民族浄化と称して自らの勢力圏内に住む他民族を強制 追放や強制収容、あるいは大量虐殺などによって物理的に排除する方法をとった。こうした中、カラジッチ被告は紛争当時のスルプスカ共和国大統領として、スレブレニツァ大虐殺を直接指揮し、7000人以上のボシニャク人(ムスリム人)男性を組織的に殺害した。
この大虐殺について、個人間で起こった殺戮行為であり自らの軍隊とは無関係だったとして、被告は無罪を主張していた。判決後、被告の弁護団の1人、ピーター・ロビンソン氏は控訴の意向を示した。
一部の遺族からは、判決が遅すぎたとの声も挙がっている。
(翻訳編集・桜井信一)