[ニューヨーク 14日 ロイター] – 公衆衛生関係者の間では、ニューヨーク市は長年に及ぶ鉛中毒との戦いで、よく知られている。鉛は神経障害などを引き起こす可能性がある有害物質だ。
全米で禁止される18年も前の1960年に、同市は住宅における鉛含有塗料の使用を禁止。2004年の市条例では、6年以内に子どもの鉛中毒を「撲滅」するとの目標を掲げた。
また、一般住宅を対象とした鉛検査を無料で実施。危険箇所を改修し、必要とあれば大家を摘発する方針を打ち出している。ニューヨーク市で鉛害にさらされる子どもの割合は、年を追って減少してきた。
しかし、バーバラ・エリスさんが住んでいたブルックリンのアパートでは、娘2人の血中鉛濃度が3年連続で高い数値を示すまで、検査担当者が訪問することはなかった。
このアパートでは、ドアや窓枠のはげかけたペンキから鉛が見つかった。双子の娘たちは発育が遅れ、言語訓練や作業療法を必要とした。発育の遅れは、鉛中毒の子どもによくみられる症状だ。
「娘たちは今でも、言葉が少し不明瞭だ」と、地下鉄運転手のエリスさんは言う。娘のケイトリンちゃんとチェスティちゃんは、6歳になった。大家ともめるのに疲れたエリスさん一家は、ハーレムに新しい住居を見つけて移り住んだ。
この一家が経験した苦難は、珍しいことではない。
ロイターが精査した血液検査データによれば、米国の裕福な大都市には、いまだ高い鉛中毒リスクにさらされた地域が数多くある。
この種の検証としては初となる今回の調査では、ニューヨーク在住の子どもを対象として、地区ごとに細分化された血液検査データをロイターが入手した。各地区の住民は4000人程度で、人口密度の高いニューヨークでは、地区は数ブロックに相当する場合が多い。
多くの地区で鉛中毒は根絶しているが、ロイターは2005年から2015年の11年間に検査を受けた5歳以下の子どもの10%以上から高濃度の鉛が検出された、ニューヨークの69地区を特定した。
米ミシガン州フリントで2014年から15年にかけて水道水の鉛汚染が大きな問題となり、2016年には当時のオバマ大統領が非常事態が宣言される事態となったが、その危機の最中に米疾病予防センター(CDC)の検査で鉛害が検出された子どもの割合は5%だった。
今回の数字はその2倍だ。
危険地区はニューヨーク中に散らばり、さまざまな人種に及んでいる。古いペンキをはがすことは、危険な行為として知られているが、汚染された土壌や水、おもちゃ、化粧品、サプリメント類など、日常の中にも危険が潜んでいることが、ロイターの調べで明らかになった。
鉛中毒に関するニューヨーク市の最新報告書では、2015年に血液検査を受けた子ども5400人から、高濃度とみなされる1デシリットル当たり5マイクログラムかそれ以上の鉛が検出された。800人を以上からは、少なくともその2倍の検出があった。
ロイターは、これまで公表されていなかったデータを精査し、市による「根絶」目標が達成されていない地区を詳細に検証した。
「ニューヨークの鉛対策は有名だ。それでもまだこうした地区が残っていること自体、全米規模での取り組みがいかに困難かを物語っている」と、シカゴの鉛中毒予防対策を主導したパトリック・マクロイ氏は語る。
今回のロイターによる検証で明らかになったのは、以下の6点だ。
●ニューヨークのデブラシオ市長が、市議会議員時代に共同提案した2004年の住宅に関する市条例は、法律違反常習者の大家を標的にしている。しかし、条文では大家に鉛を含む危険箇所を見つけて修理するよう義務付けているが、市はその実施状況を監視しておらず、子どもに中毒の症状が出るまで行動しないことがある。
●子どもの血中鉛濃度が最も高かった地区はブルックリンにある。石造りの歴史的な建物が多く、不動産価値も急上昇しているが、建築工事やリノベーション作業によって鉛成分が拡散する恐れがある。高濃度の鉛が検出された子どもの割合がミシガン州フリントの3倍と最も高かったのは、超正統派のユダヤ教徒が多く住む地区で、子どもの割合が市内で最も多い地域でもある。
●マンハッタンのアッパーウエストサイドにあるリバーサイド公園近くの高級住宅街では、高濃度の鉛が検出された子どもの割合は、フリントと同程度だった。
●子供向けのアクセサリーなど危険な鉛含有製品が市内で市販されていた。子ども向け目元用化粧品の1つからは、米国安全基準の4700倍の鉛が検出された。この商品には「鉛成分ゼロ」と記されていた。
●大手オンライン通販サイトのアマゾンやイーベイで、ニューヨーク市の鉛規制に抵触する複数の商品をロイターは購入した。その後、当該商品はサイトから撤去された。
●ブルックリンで行われた民家の裏庭や公園の土壌検査では、土壌清浄化連邦プログラムの対象になった汚染地区に匹敵する濃度の鉛が検出された。
ニューヨーク全体の鉛による汚染率は、2005年以降で最大86%低下した。だが、CDC基準の2倍に設定された市の基準を満たす鉛中毒の子どもたちの数は、2012年から2015年にかけて、ほどんと減っていない。
「残念ながら、全米でもこの地域でも、かつての急速な低下トレンドから横ばいに変化する兆候が見受けられる」と、住宅問題の専門家レベッカ・モーリー氏は言う。
ニューヨーク市の広報担当者は、積極的な対策によって鉛中毒が急激に減少したことを踏まえれば、同市とミシガン州フリントを比較することは「人騒がせで不正確」との声明を出した。
だがモーリー氏は、市の取り組みの成果を認めつつも、データは「鉛の汚染地区が局地的に取り残されている」事実を示していると指摘する。
ニューヨーク市は、鉛汚染に苦慮する数百もの米自治体の1つでしかない。ロイターは2年間に及ぶ調査で、血中鉛濃度が高い子どもの割合がフリントの2倍に上っている、全米の34州にある3810地区を特定した。
子どもの血中鉛濃度に、安全レベルなど存在しない。鉛汚染は、脳のダメージや知能低下、問題行動、生涯残る健康被害と関連付けられている。
<執行上の問題>
ニューヨークの住宅の約7割は、鉛を含んだペンキが普通に使われていた1950年代やそれ以前に建設されている。乳幼児は、そうした小さな硬貨程度の大きさのペンキの破片を飲み込んだり、そのほこりを吸い込んだだけで、鉛中毒になる可能性がある。
「小さな子どもが鉛中毒になるのは、主に住宅からだ」と、市の中毒防止プログラムを率いるデボラ・ナジン氏は語る。「鉛を含むペンキ使用が分かったら、それを放置しないことが大変重要だ」
鉛検査の訓練を受けた検査員400人を擁するニューヨーク市の住宅保全開発局(HPD)とナジン氏の部署は、緊密に連携している。
2004年制定された住宅に関する市条例は、危険な塗装を大家に指摘し、早急な修繕を求める権限をHPDに与えた。それ以後、鉛含有ペンキの条例違反でHPDが大家を摘発した件数は23万件に上る。
だが、ニューヨークの賃貸物件は200万件もあり、検査員は古い物件をすべて訪問することはできない。そして、2010年までに鉛中毒をゼロにするという2004年の条例が掲げた目標は、期日から7年過ぎた今も達成されないままだ。
その理由の1つは、鉛中毒の予防策を大家に義務付ける2つの条項について、市がほとんど実施状況を監視できていないことにある。
条項の1つは、幼い子どもが住む1960年代以前の住宅で毎年鉛含有ペンキの検査を行い、必要があれば修繕し、記録することを大家に義務付けている。もう1つの条項は、新しい賃借人の入居前に、塗装が特にはげやすい窓枠やドア枠の鉛含有ペンキを「恒久的に封印、または除去」することを求めている。
HPDが過去12年に摘発した条例違反の記録を調べたが、毎年のペンキ検査を実施しなかったとして大家が摘発された例は1件も見当たらなかった。新しい賃借人の入居前に窓やドアの枠を修繕しなかったとして摘発されたのは、2010年の1件だけだった。
「市当局が違反行為を取り締まらないのであれば、これらの義務に関心を払う人は誰もいなくなる」と、条例制定に関わったマシュー・シャシェール弁護士は言う。
デブラシオ市長は、コメントの求めに応じなかった。
ブルームバーグ前市長時代にHPD局長を務めたラファエル・セステロ氏は、こうした施策の履行は難しいと語る。「当局が実際できることについて、現実的な見方が必要だ」
入居者の苦情申し立てなどを受け、検査員が出向いて発見したペンキの条例違反の摘発にHPDは集中していると、同氏は付け加えた。
<コニーアイランドの子どもたち>
苦情申し立てを出発点とする取り締まり手法は、鉛中毒対策として「極めて効果的」だと市当局は声明で述べた。
だが、それは常に機能するわけではない。子どもが実際に中毒を発症するまで、自力対応を強いられる世帯もある。
ブルックリンのコニーアイランド地区にある築116年のアパートの一室では、2人の子ども用ベッドの隣の汚れた壁に「鉛含有ペンキ」のスタンプが押されている。検査員が最近訪れ、鉛を検出した。
HPDの記録によると、この建物からは、他にも163件の住宅条例違反が見つかっている。
記者がこのアパートを最近訪問したところ、建物の電気は止められ、共有部分にはネズミの糞が散らばっていた。アパートの一室では、改造されたガスオーブンが、暖房代わりに使われていた。
2015年にホームレスのシェルターから2人の子どもと転居してきたナタリア・ローリンズさん(25)は当初、ここに入居できてラッキーだと思った。市の自立支援プログラムを利用して、月額家賃が1515ドルの部屋に入居。家賃は、ほぼこのプログラムから支払われた。
だが、彼女は入居後まもなく、幼い息子たちのことを考えて怖くなった。古いペンキははがれ、天井はたわみ、ゴキブリやネズミ、ハチがはびこり、床板はゆがんで、窓は割れていた。
「シェルター住まいは嫌いだった。でも、だからといってこんな環境で暮らさなくてもいいはずだ」と、デイケアスタッフとして働くローリンズさんは語る。「大家に電話しても無視される。(市の支援プログラムを)利用していると、扱いが異なる」
ローリンズさんは、市当局のホットラインに十数回電話し、懸念を伝えた。検査員がやってきたが、最初は鉛検査を実施しなかったという。
2カ月前、息子のノアちゃん(2)が鉛中毒と診断された。検査結果を受け取った後、市の保健局の担当者がすぐにやってきて、部屋内に大量の鉛含有ペンキが使われていることが分かった。
ノアちゃんの言葉は発達しているが、音に敏感で、異物を食べようとする行動を、ローリンズさんは懸念している。ノアちゃんと自閉症の兄ランディちゃんを連れてローリンズさんはいま、ブロンクスにある、病院が運営する鉛中毒患者向けの安全な住まいに滞在している。
このアパートの大家、アービン・ジョンソンさんは、ローリンズさんの入居時、アパートは「極めて良好な状態」だったと話し、「子どもが鉛にさらされたのなら、どこかほかの場所からの鉛だろう」と言う。
だが市側は、鉛中毒になる子どものほとんどは、自宅で鉛に接触していると指摘する。記録によると、ジョンソンさんが所有するアパートの建物は2007年以降ずっと、市内で「最も状態が悪い」集合住宅200軒のリストに含まれている。
「この大家は、幼い市民を守るための安全義務にたびたび違反している」と、市側は指摘。ジョンソンさんに「速やかに」条例違反を解消するよう求め、ローリンズさんには新しい住居を探しているという。
公営住宅の問題点も明るみに出た。ニューヨークの公営住宅担当部署が、古い公営住宅の鉛含有ペンキ検査を毎年行っていないことが、連邦当局の調査で判明した。「われわれは改善しなくてはならない」と公営住宅の広報担当者は述べた。
ニューヨーク市全体では、血液検査を受けた子どものうち、高い鉛濃度が検出された割合は2015年が1.7%で、CDCによる全米推計値の2・5%を下回っている。
だがその割合は、地区によって大きなばらつきがある。
マンハッタンの裕福なアッパーウエストサイド地区では、近年でも鉛中毒の割合はミシガン州フリントと同水準だった。この地区には、壮麗な古い建築物や、数百万ドルもするアパートが多く、鉛に関する作業安全基準を守ることなくリノベーションが行われれば、子どもたちが危険にさらされる恐れがある。
<ウィリアムズバーグの苦悩>
数十年前、ブルックリンのウィリアムズバーグ地区は、ほとんどが工業地区で、家賃も安かった。だが今では、マンハッタンのダウンタウンを川向こうに望む恵まれた眺望や広々としたロフトが、裕福な人々の興味を集めている。
ここには労働者階級の住民もまだ残っている。その中には、第2次世界大戦時にこの地区南部に住み始めたユダヤ教ハシド派の数千人に上る人々も含まれる。独特の服装と伝統を守る超正統派ハシド派のライフスタイルは、すぐ隣で繰り広げられている流行に敏感なヒップスターの華やな生活とは対照的だ。
ハシド派が住む地区は、子どもの鉛中毒発生率が異常に高く、ロイターの調査ではニューヨークで最も危険な地区となっている。
ウィリアムズバーグ南部の3地区では、2005年から2015年にかけて、最大2400人の子どもからCDC基準を超える濃度の鉛が検出された。そのうち1つの地区では、同じ期間に検査を受けた子どもの21%が高濃度と判定された。最近ではその割合は低下しているが、それでもミシガン州フリントより高いままだ。
リー・アベニューでは、黒い帽子とコートを身に着けた少年たちが、ユダヤ教神学校から出てくる。女性たちは、ユダヤ教で定められた食品を扱う店で買い物し、1900年ごろの建築が多い石造りの建物前で、イディッシュ語で世間話に興じている。
「(鉛中毒検査の)数字を見たときは、心底怖かった」と、ウィリアムズバーグのユダヤ教指導者デビッド・ニーデルマン氏は言う。「古い住宅が集中しており、そこに住む幼い子どもが多いことが、大きな要因だ」と語る。
ウィリアムズバーグのハシド派が多く住む地区では、住民の25%が5歳以下の幼児だ。ニューヨーク市全体ではこの割合は6%にすぎない。
近年では、市のヘルスワーカーがここで集中的に活動している。ニーデルマン氏の宗教団体も取り組みに協力。鉛中毒に関するパンフレットをイディッシュ語で作成し、医療クリニックに検査を強化するよう促したり、住民や大家向けに説明会を開いたりしている。
直近の2015年時点では、ウィリアムズバーグのある地区の子どもの鉛中毒発生率は13%で、市内で最も高かった。その後、数字が低下しているかどうかは、現段階では分かっていない。
<店頭にも危険が存在>
鉛中毒にかかるリスクが最も高いのは、自分で動きはじめたばかりの乳幼児だが、就学年齢の子どもや大人も安全ではない。
ニューヨークの公立学校による最近の調査では、8割以上の学校で、少なくとも1カ所の水道から米環境保護庁(EPA)の基準値15ppb(1ppbは10億分の1)を超える鉛が検出された。
ニューヨークの公共ラジオがこの結果を地図にまとめ、問題のある蛇口は修繕されるまで閉鎖された。だが、鉛が使われた水道管は、ニューヨークの建物には多数存在する。
市販されている商品も懸念材料だ。鉛問題に取り組むタマラ・ルービン氏は今年、人気玩具のハンドスピナーのなかに、鉛を含むものが数種類あることを確認した。
ニューヨークのあちこちにある人気雑貨店でも、鉛含有商品が売られている。ロイターが子どもや妊娠中の女性が使う商品を雑貨店やオンラインストアで購入し、13点を認証を受けた検査ラボに送ったところ、ヘアピンなど6点から、消費者安全基準を上回る鉛が検出された。
<頭上や足下にも>
クイーンズでは、市地下鉄7系統の電車がガタガタと音をたてながら頭上の高架線を走って行く。
昨年、開業から1世紀たった地下鉄の構造物から、鉛含有塗料がにぎやかなクイーンズの街に降り注いでいたことが分かったと塗装業団体が発表。ブルックリンにある連邦裁判所の判事は12月に聴聞会を開き、公衆衛生上の緊急事態を宣言すべきか検討する予定だ。
市内の一部地区では、鉛汚染リスクは足下にも存在する。過去の工業排気や自動車の排気ガス、ゴミ焼却や古い建物の塗料などで、土壌が汚染されているからだ。
ブルックリンのグリーンポイント地区にある、家族連れに人気のマッカレン・パーク内の歩道で今夏、ロイターは研究者の協力を得て土壌検査を行った。
コロンビア大学で環境科学を研究する大学院生のフランチスカ・ランデスさんは、数カ月かけて、かつて工業地区だった場所の土壌を検査した。調査した民家裏庭のほとんどで、EPAが子どもの遊び場として適当と定めた安全基準400ppm(1ppmは100万分の1)を上回る数値が少なくとも1ケ所から検出されていた。
未来的な銃のような外見をした蛍光X線分析装置を土に差し込んだランデスさんはすぐに、ジョギングコースのすぐ脇で、安全基準の5倍の鉛が検出されるスポットを発見した。
「ああ、これは高い」とランデスさん。ジョギングコース沿いには、これよりは低いがEPA基準を上回る場所が数カ所あった。
市の鉛対策プログラムを担うナジン氏は、都市部では子どもが庭で遊ぶ機会は限られており、土壌リスクの優先順位は通常高くなかったと説明する。彼女は最近、コロンビア大の研究者と面会し、この問題をさらに検討している。
ニューヨーク市立大ブルックリン校で土壌を研究するジョシュア・チェン教授は、より警戒が必要だと語る。
汚染が確認された地区の住民は、土や泥を家に持ち込まないよう注意し、子どもには頻繁に手洗いをさせ、高濃度の鉛が検出された場所の表土を入れ替えるべきだと同教授は主張する。
「ブルックリンの裏庭で検出された鉛は、過去に鉛精錬作業が行われた場所のレベルに匹敵する。(土壌清浄化連邦プログラムの対象になった)汚染地区と比較できるレベルだ」とチェン教授は指摘する。
2児の母親サラ・ダフォードさんは、自宅裏庭で鉛の濃度テストを行わせてくれたグリーンポイント地区の住民の1人だ。
EPA基準を下回る場所も1ケ所あったが、それ以外は基準の4倍の鉛が検出された。
「恐れていたことは本当だった」と彼女はつぶやき、2歳の子どもに、鉛の血中濃度検査を受けさせることを決めた。
(翻訳:山口香子、編集:下郡美紀)
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