息をひそめ書いたSOSレター 「悪の巣窟」馬三家労働所から 手紙主が伝えたかったこと

2018/09/25
更新: 2018/09/25

一年前の中秋節、2017年10月1日。バリ島の病院で、法輪功学習者の孫毅さんが死亡した。残酷な拷問を加えることで悪名高い中国の収容所から窮状を伝え、世界に人道犯罪を暴露した、SOSレターの書き手だった。

孫毅さんは中国国営の石油企業勤務のエリートで、英語にも堪能だった。しかし、信条を理由に共産党当局から十数年間におよぶ拘束、収監、釈放、家族への嫌がらせが繰り返された。孫毅さんは中国国内の滞在は難しいと判断し、インドネシアへ亡命を試みた。現地生活に慣れるためにも現地の会話を学び、仕事を探していた。

住まいのあったジャカルタでは、中国公安当局者が接触していたとされ、不自然な急死には暗殺説も浮上している。バリ島の病院は、急性腎不全と診断した。家族や友人は、彼は腎臓を患っていないとして事件性を疑い、現地警察へ捜査を求めたが、この訴えは受理されていない。

8000キロを旅したSOSレター

2012年秋。米オレゴン州の小さな町に住む、二人の子供を持つ主婦ジュリー・キースさんは、購入した安価なハロウィーンの飾りつけの裏に、何か紙が張り付いているのに気付いた。「この手紙を国際的な人権団体に渡してください。ここにいる何千もの人々が、あなたに永遠なる感謝をささげます―」。中国の労働収容所にいる人物からの手紙だった。不眠不休の15時間連続労働を強いられ、さらに拷問を受けているとの窮状がつづられていた。

ドクロが十字架の背後に立つ奇妙な飾りつけは、遼寧省瀋陽市の馬三家労働収容所で製造されたものだった。知る人には「悪魔の巣窟」と呼ばれるほど残忍な拷問が収監者に加えられる施設だ。この情報をネットで知り、驚いたキースさんは、このSOSレターを地元の新聞社オレゴニアンに持ち込み、さらにソーシャルサイトでも周知を図った。

孫毅さんが書いたSOSレター
ジェリー・キースさんが公開)

8000キロを旅した手紙の存在にニューヨーク・タイムズ、CNN、NBC、FOXニュースなど米主要メディアもこぞって報じた。国際的な関心が高まり、SOSレターの書き手が誰なのかが判明する。思想犯として共産党に虐げられていた、法輪功学習者の孫毅さんだった。本人は、2017年に大紀元のインタビューに答えた。

1966年9月、山西省太原市出身生まれの孫毅さんは大学卒業後、大手石油の中国石油集団のグループ企業の技術職として北京で働いていた。1997年、心身修練法である中国気功法・法輪功を学び始めた。

1999年7月、当時の江沢民中国国家主席が決定した、法輪功に対する弾圧政策が始まった。迫害をやめるよう当局に訴え続けた孫毅さんは、2001年に懲戒免職となり、監視対象となった。思想矯正所、留置所、強制労働所などへの収監、釈放が繰り返され、国内各地を放浪せざるを得なかった。

香港のレンズ誌(2013年2月号)は、孫毅さんが収容されていた馬三家収容所の調査報道を伝えた。ここでは、手を縛ったまま吊るされる、ムチや高圧電流の走るスタンガンで滅多打ちにされる、爪をはがされる、説明されない薬物の強制注射など、阿鼻叫喚(あびきょうかん・非常に悲惨でむごたらしいさま)の光景が日常的に繰り返されているという。

人権団体フリーダム・ハウスによると、法輪功弾圧により連行、収監など不自由を被った学習者は数百万人に及ぶ。同組織は2017年の報告「中国精神の戦い」で、中国国内の法輪功学習者は少なくとも2000万人いると推計している。

記録映画の作成

馬三家収容所をはじめとする法輪功迫害を周知し、停止させるために、孫毅さんはカナダの映画監督レオン・リー氏と連絡を取った。監督は2015年「人狩り」で、米映像最高栄誉であるピーボディ賞の受賞歴があるカナダ在住華人だ。

撮影は、孫毅さんが釈放され、SOSレターが注目を集めた2012年以後、数回にわたり行われた。映画は、撮影が許可されることのない馬三家収容所内部の様子や、拘束当時のシーンを、孫毅さんの特技であった中国手法のイラストをつないでアニメにした。リー監督のドキュメンタリー映画「馬三家からの手紙」は、2018年9月に公開された。

レオン・リー監督は、映画作りの過程で触れた孫毅さんの人柄について「物腰のやわらかで紳士的な技術者だ。信じられないほどの圧力と困難の中で生きているとは感じられない」とカナダメディア・ナットのインタビュ―で答えている。

映画によると、孫毅さんが英語でつづったSOSレターは、看守に気づかれないよう、夜中に息をひそめてベッドのなかでひそかに書いたものだという。20枚ほど用意した手紙は、輸出用の製品に忍ばせた。

孫毅さんは拷問に耐え抜き、中国共産党が強要した「思想を転向する」との念書にサインもしなかった。ひとりの警備員が、拷問を受けても信念を変えない孫毅さんを「見た目は貧弱な学者のようなだが、気骨があると感じた。尊敬している」と告白している。

鉄製の2段ベッドに昼夜吊(つ)るされたまま、寝られなくなる惨い拷問を受け、幻覚や幻聴、正気を失っても、孫毅さんは信仰を手放さなかった。だましあい、闘争、情欲、腐敗、自堕落といった共産党体制後の世界に広がる抑圧社会。孫毅さんは、この統制を頑として受け入れず、真実性と善良さ、忍耐という信条を貫き、悟りを得ることが自身の生きる道だと選択した。伝統修練法を通じて、孫毅さんは中国古典「一正が百の邪を圧する」を体現しようとしていた。

孫毅さんは釈放後も、自宅軟禁や嫌がらせを受けていた。国外の国際人権機関へ、中国共産党体制の非人道性を周知させようと決意した孫毅さんは、2016年12月、監視の目をかいくぐり出国に成功。亡命のためにインドネシアへ飛んだ。

命の恩人と面会

面会を果たしたキースさんと孫毅さん。馬三家収容所で書いたSOSレターを目にする(Flying Could Production)

数カ月後、命の恩人であるキースさんと、首都ジャカルタで面会した。孫毅さんは、キースさんが手紙を公開したことで法輪功迫害や収容施設の問題が報道されたことについて、「多くの中国人を代表して感謝したい」と英語で伝えた。

キースさんはSNSで面会した当時の写真を、SNSに掲載している。「孫毅さんと共に」と短いコメントが付けられた二人の笑顔が映る写真には、数百のユーザが「いいね!」を押した。

孫毅さんによると、亡命申請者であるため就職が難しく、生活は困窮していた。さらに、中国国内にいる家族とは、当局からの嫌がらせを避けるために、連絡を絶たなければならなかった。

引き続き苦境にある孫毅さんだが、キースさんは面会を通じて、彼の決意を感じ取っていた。「あれほど悲惨な体験でも、彼の魂や人間性を破壊できなかった。彼はなおも前進し、同じ境遇にある人々の悲劇を伝えようとしている」。

映画のなかで、孫毅さんは言う。「信念のためなら、苦難はいとわない」。

孫毅さんはインドネシアでも、中国公安当局者の接触を受けていた。2017年10月、孫毅さんに突然の死が訪れた。搬送先のバリ島の病院は急性腎不全と診断した。家族は、孫毅さんは腎臓を患っておらず事件性があるのではないかと警察に捜査を求めたが、受け入れられていない。

(編集・佐渡道世)

信条のために中国国内で弾圧を受けて、何度も拘束と釈放を繰り返された法輪功学習者・孫毅さん。外国への輸出製品に秘密に忍ばせたSOSレターの書き手(FlyingCloudProduction)