共産主義の最終目的 『九評』編集部新刊『共産主義の最終目的』

第一章 中心なる国 神より伝えられた文化

2019/07/12
更新: 2024/11/11

この記事は、『共産主義の最終目的』序文 の続きです。

 

目次

1、中心なる国

2、神より伝えられた文化

3、歴史の大河

4、類まれなる包容力

5、不滅の文明

結語

 

1、中心なる国

人類の文明は四千年前に発生した大洪水により壊滅させられた。世界各民族の洪水伝説でも、生き残ったほんの一握りの人が人類の文明を再建したと言い伝えられている。

大洪水が起こった時期は、中国の堯(ぎょう)帝の時代に当たる。滔天(とうてん)の洪水が世界各地に大きな災難をもたらすなか、中華民族は全体として生き残ることができ、先史の輝かしい文明を保全することができた。その中には現代人すら解明できないような太極や河図、洛書、周易、八卦も含まれていた。

中国の歴史書によると、堯帝が天を祭っている際に神が姿を現し、「水方至為害,命子救之(大洪水が民に害を与えている、あなたは農民を救いなさい、の意、出典:『古今楽録』)」と伝えた。禹(う)帝(夏王朝初代皇帝)が洪水退治を行ったのも大洪水が起こったためだ。堯、舜、禹の三帝の時期に中華民族は壊滅的な洪水から復興を遂げた。禹帝は国土を治め、中華民族のために新世界を切り開き、今日に至った。

これは中華民族に対する神の特別なご愛顧である。神の護持がなければ、中華民族は世界の他民族と同様、大洪水の難を免れることはできなかっただろう。神は数多くの民族から中華民族を選び、神伝文化(半神文化とも言う)を授けたが、これもまた後々の壮大な構想の布石だった。

中国の歴代王朝は領土をも異にしたが、実際のところ、「中国」は地理的な概念ではなく、「中心なる国」の意味だ。これは中華文明が持つ独特な地位や特徴、構成要素に鑑みて、神が定めたのである。

中華の大地は唯一無二の存在であり、まさに神が選んだ中心の国から、世の人を救う法が世界に伝播される。つまり、自然環境や人口分布といった表面上の要素から歴史の発展過程や文化の形成および各種宗教や修煉法門に対する認識などの深層的な部分まで、中国を構成する一切の事柄は神の系統的で秩序ある導きに由来する。

中華文明の歴史のなかで、創世主は帝王や文人墨客、僧侶、道士、武術大家、軍師、名将にそれぞれ転生し、非凡なる来歴を持つ人々を率いて神州の民のために生活の基礎を打ち立てた。そして道徳規範を定立し、思想の内包を豊富にし、正統な文化を広め、律令格式を定めた。そのうえに、帝室、国民、文化、衣裳、風土人情、思想神髄をそれぞれ異にする王朝が成立した。中華文明はそれらの文化を遠く四海に広め、威厳をもって八方を鎮めた。ここに五千年神伝文化の壮大な局面が完成した。

中華文明の英雄人物は竹簡に名を残し万古の模範となった。秦の始皇帝、漢の武帝、三国時代の曹操や諸葛孔明、唐の太宗皇帝、チンギス・ハン、フビライ・ハン、明王朝の永楽帝、清帝国の康熙(こうき)帝等の帝王名臣は領土を拡大し、周辺国家や民族と縁を結び、中華文明を遠く異民族の地まで伝えた。

秦漢両帝国は中国統一を果たし、西域を開拓した。そして北方民族を討伐し、南方民族を編入した。魏晋南北朝期には中華文明が華南に広がり、五胡が中原で建国した。隋唐時代になると周辺民族は中華帝国と和親を結び、盛んに朝貢・留学した。時には戦火をも交えつつ、さまざまな形式で中原王朝と関係を持った。北宋・南宋期には契丹(きったん)と女真(じょしん)が勃興し、宋と遼、宋と金の間で戦争が続発した。チンギス・ハンは北アジアを統一し、ヨーロッパまで遠征を行った。また、明の永楽帝は大艦隊を編制し大航海を行った。それらの功績は天地をも驚かせる偉業だった。それらの出来事は無秩序にも見えるが、実に整然としている。偶然にも見えるが、実は必然的だ。

神は世の衆生を一人も漏らすことがないよう、順序立てて中華伝統文化を世界に伝播し、全世界の人類が有するべき普遍的価値観を定立した。

神州の大地では走馬燈のごとく歴史の戯曲が上演され、一方が退場すればもう一方が舞台に登場した。演技する者は茫然として忘我の境地に陥り、見るものも劇中をさまようばかりに酔いしれた。五千年に及ぶ歴史の戯曲の内容とその背後にある神髄は、人知れず神州の民の血液の中に溶け込んでいった。そして五千年間絶えることのない歴史の記録により後世まで保たれ、比較的高い道徳水準を維持できた。

 

2、神より伝えられた文化

中華伝統文化は天に通ずる。中華文明の伝統において、「天」とは現代人が考えるいわゆる「大自然」とはまったく異なる存在だ。「天」は生きているもので、天と地の間にある万物はすべて「造化」、すなわち創られ育てられたものと称された。一方で、創り育てたものは宇宙天地の主宰者、すなわち「天帝」または「昊天上帝」と称され、民間では「老天爺(ろうてんや)(この上なく高位の神)」としてあがめられた。中国人は自らの国土を「神州」と呼び、皇帝を「天子」と呼称した。人は道徳を高めることで最終的に神のいる天国に行くものとされた。

神の意志は「天意」という。天地万物は天意に従って運行するものとされ、これを「天道」と称する。また、天意は天象を通して明らかになるとされた。中華文明において、天帝は災害をもたらすことで天意に背いた者を警告し、道徳心があり天意に従う者には幸運と祝福をもたらした。また、「天」は賢明な帝王や聖人を遣わして民を教化し、天象を読み解き天意に沿った行動をとるようにした。

『易経・系辞上』において、「天は象を垂らし、凶吉を見せ、聖人がこれを象(かたど)る。河より図が出でて、洛より書が出でて、聖人はこれに則(のっと)る」という記述がある。つまり、聖人が天命に従い天象(天文、星の位置)を民に示すことで、人の思想や信仰、行いが形成され、さらには倫理観や道徳規範、法律制度などと化した。このようにして「天文」は「人文」に化した。これが中華文明の本源である。

中華文明を演繹(えんえき・意義を推し拡げて説明すること)し、民を教化する「聖人」は神として現れることもあれば、半神として現れることもある。「聖」という文字が示すように、彼らは天命を聞き、人文を形成する帝王である。聖人の例には、神として現れた盤古や女媧、伏義、神農、そして人として現れた黄帝や堯、舜、禹といった諸王がある。

歴史書の記載によると、中国人が「人文始祖」として崇める「軒轅(けんえき)皇帝」は民衆の教化を終えたあと、得道して白日飛昇し、天上世界に帰った。ここに人間が神に戻るという修煉文化が形成された。黄帝が白日飛昇する前に着用していた衣裳は橋山に葬られ、後世の人々に祭られている。

歴代王朝の時に、神はたびたび華夏民族の賢君聖王として転生し、長い年月の中、中華神伝文化の文化体系を着々と打ち立て、豊富なものにしていった。中華文明は神の智慧より生じているため、その内面の神髄は奥深く、天の絶妙な導きと神の事跡に満ち溢れている。

 

3、歴史の大河

大洪水の後、堯・舜・禹の三人の聖王が相次いで国を治め、天地と時間の運行秩序を回復させ、復興に努めた。三帝は陰陽を調和させ、妖怪を討伐し、人間の生活環境を整えた。至高の道徳で天下を治め、道徳が統治の中心に置かれた。そして天人合一の文化体系の基礎を作り、神州という歴史の大舞台を整えた。

夏王朝と周王朝期は神と人とが共存した時代だ。多くの神仙や真人(得道した道士)は人間と共に生活し、各種文化や技術を伝え、道徳規範や思想の形成に貢献した。

西周時代から秦帝国までの八百年間、春秋の五覇や戦国の七雄が中原の覇権を争った。秦帝国の始皇帝は天の時に順応し、地の利を得て、人の和に符合することで統一した中華帝国を築いた。

漢の武帝は領土を拡大し、四方に出兵して大漢帝国の国威を西域にまで轟(とどろ)かせた。また、中華帝国の各種制度を整えることで、以降数千年にわたる文化の礎を築いた。そして西域に通じる道を開拓し、中華文明をユーラシア大陸に広く伝播した。秦・漢帝国期の統治制度は清王朝に至るまでの二千年間、各王朝によって受け継がれた。

大唐帝国の太宗皇帝李世民はかつてないほどの叡智(えいち)と武勇をもって四方を平定し、中原を治めた。天下を統一し、中華文明を頂点まで発展させた。大唐帝国は天下に君臨し、八方を敬服させた。大唐帝国の非凡な自信と器量は無数の河川を納める海洋のようで、それに比肩(ひけん・肩を並べること)できるものは何一つ存在しない。類まれなる繁栄と国力を持った大唐帝国は歴史に輝かしい一筆を残した。

13世紀初頭、モンゴルのチンギス・ハンとその高貴な一族はユーラシア大陸を席巻し、中華文明を遠方に伝播した。これに影響されて欧州ではルネッサンスが開始し、西方世界の文明は大発展を遂げた。元帝国のフビライ・ハンは元王朝を建てて中原の大舞台に入り、漢や唐をはるかに超える大きな版図を持つに至った。そして世界の一体化を進める中で歴史に多大な影響を与えた。

明帝国の永楽帝や清王朝の康煕帝などの賢君聖主は徳を重んじ、文治武功に長けていたため四方の外族を服従させた。さらに遠洋航海を行うことで皇帝の威厳を広め、モンゴルとロシアに対抗して天下を平定した。このように輝きに満ちた中華文明は全世界に影響を与えた。

中華帝国のこれらの名君は新時代を切り開き、乾坤をも動かさんばかりの力で中華文明の基礎を固め、中国のみならず世界に繁栄をもたらした。中国の各王朝は神の守護のもと、世の人が備わるべき文化と思想を作り上げていった。

 

4、類まれなる包容力

大多数の民族文化は、その民族の宗教信仰の基礎の上に成り立っている。しかし多くの宗教信者は自らの神を「唯一にして真の神」と称し、ほかの宗教を異端と決めつけがちだ。西洋史において宗教戦争は絶え間なく勃発した。学者の中には、歴史上の国家間戦争の根本的な原因は宗教間の衝突であると主張する者もいる。

一方で中国においては、異なる宗教の寺院や礼拝所は平和裏に共存している。中国史上では大規模な宗教戦争が発生したこともない。中原地域に王朝を立てたモンゴル族や満州族も中華伝統文化の教化を受け、自らの文化を中華伝統文化の中に溶け込ませた。これらは中国文化が持つ類まれなる包容力の表れである。

宇宙のさまざまな神の中には仏と道のみならず、ほかの神も含まれている。したがって中国文化の中には絶えず「仏、道、神」の概念や、修煉するという形式が形成されてきた。人類の道徳観や倫理観、そして「道、徳、仁、義、礼、智、信」といった普遍的価値観も人々の心の中に植え付けられた。

各民族の文化の中には、創世主が最後の時に再び現れて全ての人を救うという伝説がある。もし本当であれば、創世主が異なる民族や宗教の人々を救うために、類まれなる包容力を持った中華文明を選び中国の地で法を伝えることも理解しやすくなるだろう。

一方において、このような文明には生命の根源や文化・信仰が異なる人でも救いの法を理解することができる要素が含まれている。他方で、このような普遍性を持つ文化の中で最後の法を伝えることで、さまざまな執着や宗教を持った人に受け入れやすいという方便もある。もちろん、このような普遍性を持った文化は創世主が太古の昔に系統立てて作り上げ、歴史の中で少しずつ発展・継承されて今日に至ったものであり、最後の時に世の人を救うためにあるのは言うまでもない。

 

5、不滅の文明

中華伝統文化は神のご加護のもと、数千年の時を経てなお衰えることなく十九世紀半ばまで発展をつづけた。しかし西洋文明が産業革命の技術的優勢を頼りに強制的に開国を迫り、「数千年来不遇の変局」と称される事態に直面した。その後、中華大地は動乱に見舞われ、さらに西方の幽霊が隙をみて侵入してきた。中華文明は破壊しつくされ、危機一髪の局面となった。

共産党政権の長年の破壊と各種政治運動、特に十年間続いた文化大革命の動乱により宗教信仰は衰退し、共産党文化に取って代わられた。無神論で教育された若者は是非善悪の判断基準を失い、年長者は大虐殺と鎮圧の恐怖から口を閉ざしてしまった。伝統建築や文化遺産はことごとく破壊され、人と神とのつながりはさらに希薄になった。

しかし儒教や道教、仏教の各宗派を破壊しても、神が世の人を呼び覚ます可能性はまだ残されていた。神が人類のために作り上げた中華伝統文化の神髄とそのたくましい生命力はこの時に十分に発揮された。

文化大革命を経験した中国人は信仰を失い、精神的に空虚となり文化的生活を忘れてしまった。しかし「楊家将」「岳飛伝」「三国演義」「水滸伝」などのラジオ放送の時間になると、町は静まり返り、人々は一言をも聞き漏らさないようラジオに耳を傾けた。その時間帯は警察が職務を行わなくても犯罪が起きなかったという。これはまさに数千年に及ぶ神伝文化の堆積が人々の心の中にある正念と遠い昔の記憶を呼び覚ましたに他ならない。

人はなぜ三国志が演じる「義」に尊敬の念を抱くのか?

世の人が「義」という言葉を聞けば、すぐさま三国時代に演じられた「義」を思い浮かべる。劉備、関羽、張飛という三人の豪傑が交わした義の交わりに、後世の人々は尊敬の念を抱く。義を重んじて利益をものともせず、義のためならば命をも惜しまない生きざまは人口に膾炙(かいしゃ・ひろく言われていること)した。諸葛孔明は劉備を補佐し、「臣は鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)し、死して後(のち)に已(や)む(私は死ぬまで全力を尽くして国家に仕えます、の意)」という言葉は後世の忠臣の模範となった。文武両道の異才である武帝・曹操は中国華北を統一した。しかし後に脅威となる劉備が危機に陥ったときでさえ、曹操はその危機に乗じて芽を摘むようなことはしなかった。さらに曹操は信義に厚く、関羽との約束を果たし、劉備の元へ赴くことを許した。このように曹操は君臣の義を重んじることで天下の民心を得ることができた。「義」は三国時代を通してさまざまな人物によって演じられ、中華五千年伝統文化において世の人の道徳と行為を規定する大きな役割を果たした。

では人々はなぜ、楊延昭と岳飛の「忠」に感動するのか。

北宋の楊延昭は遼や西夏との戦いで名を轟かせ、楊氏一族の女性将軍も国家と民に報いるために奮戦した。南宋の岳飛は数々の戦に勝利し一度も敗北を喫することはなかった。しかし失地を回復する目前、岳飛は奸臣(かんしん)・秦檜(しんかい)に無実の罪を着せられ殺害された。楊延昭と岳飛の物語は世代を超えて愛され、文字を読めない農民でも演劇を通して是非善悪を知り、口伝えで人の備わるべき道徳観を広めていった。

中華五千年の栄枯盛衰の中で、魂を揺さぶり感動感激に満ち溢れた演目は何度となく繰り返された。それらの演目を通して、世の人は是非善悪や真偽忠奸の区別を学び、正念を得ることができた。さらに歴史の流れの中で人々の骨に染み込ませた規範と尺度は一筋の光となって、危機的状況に陥った世の人のために希望の道を指し示す。この希望の光は中国共産党政権がどのような手段を使おうと決して消し去ることはできないものだ。

 

結語

世の中の七十億人の衆生がみな宗教を信じているわけではなく、みな神を信じているわけでもない。創世主はすべての人を救いたいが、救われるには最低限度の道徳水準が備わっていなければならない。これは多くの宗教が道徳を守り神の帰還を待てと説くゆえんでもある。

人の道徳水準が崩壊寸前に至ったときには、天災が人に襲い掛かる。このとき、天地を主宰する神のみが善良な人を災難から救い出せるのだ。

神が人類のために文化と道徳規範を定めたのは人類に危機から脱出する道を与えるためであり、大災害が起こったときに神の指し示す道を見つけ生き延びることができるようにするためだ。したがってこの救いの道を破壊することは、すなわち人類を破壊していることに他ならない。

共産党が国民を絶え間ない「政治運動」に駆り立てるのは、中華伝統文明を徹底的に壊滅させるためであり、道徳が崩壊の危機に瀕したときに人が救われる一切の可能性を断絶するためである。世の人が伝統文化とそれに裏付けられた道徳規範を失ったとき、人は神および神が伝える法を理解できず、救い済度される最後の機縁を失うこととなる。

中華伝統文化は創世主が最後の時に衆生を救い済度するために自ら定めた文化である。これこそが中華伝統文化の特殊な使命とその目的である。

 

つづき 第二章 赤魔の陰謀:人類を壊滅させる(上)