中国版ホロコーストを生き残った彫刻の巨匠

2021/02/22
更新: 2021/02/22

アメリカ在住の張崑崙さん(79)は、中国で最も優れた彫刻家として、世界で数々の賞を受賞し、中国政府からも多く名誉を与えられた。しかし、当局による法輪功(ファルンゴン)への弾圧が始まった後、学習者でもある彼の人生は一変した。

法輪功は「真・善・忍」に基づいた中国古来の佛家修煉法で、1999年7月に中国当局は学習者の人数の多さに脅威を感じ、弾圧に踏み切った。

カナダ国籍を持つ張さんは多くの学習者と同じく強制労働収容所に投獄され、拷問を受けた。その後、カナダ政府と国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの救出活動で、2001年1月10日に釈放されてカナダに帰国し、のちにアメリカに移住した。

聖なる芸術

アメリカに移住後、張さんは彫刻や絵画の製作に注力したほか、12人のアーティストの作品を展示する「真善忍国際美術展(以下、真善忍美展)を企画した。2004年の発足以来、世界50カ国以上で1000回以上を開催してきた。その目的は、現代の最も残忍な人権侵害の一つである中国共産党による法輪功迫害の深刻さを人々に伝え、芸術の美しさと力強さを讃えることだという。

トロントを拠点に活動する映画プロデューサーのキャシー・コックス(Kacey Cox)さんは、ドキュメンタリー映画「聖なる芸術(Sacred Art)」を制作するために、7年前から世界中で開催されている「真善忍美展」を取材してきた。コックスさんのインタビューで、張さんは中国で拘束された経験と芸術的使命について詳しく語った。

張崑崙さんは中国山東省出身。1981~1989年まで山東芸術学院で彫刻科の学科主任を務めた。1989年、カナダ・モントリオールにある名門校マクギル大学(McGill University)で客員教授を務めた。1995年にカナダ国籍を取得。1996年、彫刻研究所の所長として山東芸術学院に復帰。

大型モニュメントや装飾美術だけでなく、中国画や洋画も数多く手がけている。彼の作品は国内外で多くの賞を受賞し、その業績は「マークィーズ・フーズ・フー(Marquis Who’s Who)」「世界の彫刻(World Sculptures)」「世界華人芸術家功績一覧」「中国の有名書家・画家名鑑」など多くの典籍に掲載されている。

「私は1985年に興隆鉱山で高さ15メートルの像、86年には当時の中国で最も高い像である高さ31.5メートルの唐風の像を制作した」「キャリアのピークを迎えたが、自分の人生には意味がないと感じていた。いくら富と名声があっても、これからあっという間に数十年は過ぎていく」

張さんは1996年、親の面倒を見るために中国に戻り、法輪功に触れる機会を得た。「中国に戻って飛行機を降りると、中国で法輪功が急速に広まっているのを目の当たりにした。ほとんどすべての公園や広場で、人々は平和的に煉功していた……それは素晴らしかった」

張さんは2003年11月、大紀元のインタビューで、「法輪功を実践することで、私は『真・善・忍』に基づいて徳性を高めただけでなく、私の芸術創作の新たな章が開かれた。人類の真の文化のあるべき姿をより明確に実感した。そこで私は断固として現代美術の正統派ではない技法を捨て、伝統的でオーソドックスな創作方法に立ち返った。どんなに奥深い題材であっても、私の作品は人々に穏やかで温かく、美しく、高貴な芸術体験をもたらすものでなければならないと気づいた」

張崑崙さんの彫刻作品「佛像」(2002年)
(Kacey Cox/SacredArtFilm.com)
張崑崙さんの彫刻作品「菩薩像」(2008年)
(Kacey Cox/SacredArtFilm.com)

「生き残れるとは思わなかった」

中国共産党は1999年7月20日、法輪功に汚名を着せる大規模なプロパガンダの下、法輪功学習者に対する絶滅政策(大量虐殺)を実施した。何百万人もの人が職を失い、投獄され、拷問され、殺害されている。

「中国共産党は法輪功学習者に対し、テレビ局、ラジオ局、新聞社などの報道機関から、軍や警察に至るまで、あらゆる機関や国家権力を駆使し、法輪功撲滅キャンペーンを大々的に展開した。国中が恐怖に包まれた」と張さんは語った。

「その時は、高さ75メートルの仏像を作ろうと計画していた。しかし、私もブラックリストに載ってしまい、刻一刻と命の危険にさらされていた」

2000年7月、張さんは警察に拘束された。拘置所では、警察から電気バットで拷問を受けた。「肌が焦げた匂いがした」と振り返る。体と手足には大火傷を負い、左足はその後3カ月間歩行困難になるほどの重傷を負っていた。

「私に法輪功を放棄させるために、肉体的拷問に続いて精神的拷問が行われた。24時間監視、果てしない洗脳、欺瞞、強要、精神的な攻撃を受けた後、私は精神崩壊寸前まで追い込まれていた。肉体的拷問よりも精神的拷問のほうが過酷だった」

「ある日、労働収容所の副所長が『ここには美術の先生がいる。絵の描き方を教えてくれるか?』と言った。私が断ったにもかかわらず、彼らは筆と墨と紙を持ってきて、私に座って絵を描くことを強要した。仕方なく二筆描いた。密かに撮影されていたとは知らなかった」

その後、中国政府はこの映像を国内外に放送し、「張昆侖が法輪功の修煉をあきらめて、中国当局に協力し始めた」という虚偽の情報を広めた。カナダ政府が中国共産党に張さんを釈放するよう圧力をかけた際も、中国当局はこの動画を使って批判を交わした。

「中国共産党は目的を達成するためには手段を選ばない。この事件は私に大きな精神的打撃を与えた。今でもその辛さを忘れられない」

張さんは「彼らは私を王村労働収容所(山東省)に送り込んだ。この収容所は、多くの法輪功学習者を殺害したことで悪名高いので、私は死を覚悟していた。生き残れるとは思ってもみなかった」と述べた。

芸術を通じた正義の呼びかけ

張さんはコックスさんのインタビューで、「真善忍美展」を始めたきっかけについて、「現在も多くの法輪功学習者が監禁されている。自分の命を大切にするだけでなく、彼らのために声を上げ、迫害の終息を呼びかけなければならない。私は芸術を通じて何かをしたいと思った」と語った。

「その時に、海外から同じ考えを持つ15人の芸術家を集めた。最初はどうしたらいいのかわからなかった。絵を描く経験から、私が先に構図を決め、他の人が仕上げることが多かった」

「2004年にワシントンDCのキャピトルヒルで初の展覧会を開催。会期中、展示作品を見て感動の涙を流した米国議員が何人もいた。『もっと多くの人にこれらの作品を見てほしい』とのコメントが寄せられていた。これがきっかけで、世界各地で巡回展が開催されるようになった」

米彫刻家ヨハンナ・シュワイガー (Johanna Schwaiger) さんは、大紀元の電話インタビューで、2003年にニューヨーク州北部にある張昆侖教授のアトリエで見習いとして働いたときの印象を語った。

「張教授との出会いは、私の芸術家としてのキャリアの中で大きな節目となった。私は彼の技術の高さと、仕事で見せた忍耐力の強さに驚嘆した。しかし、一番印象に残ったのは、中国で投獄されていたにもかかわらず、無欲で明るい人柄だったこと」

「彼の精神は押しつぶされることなく、常に前向きだった。彼は非常に明確な使命感を持っている。つまり、芸術で自分自身を表現することではなく、優れた技術で、真実と美への尊敬の念を表現することだった」

ドキュメンタリー「聖なる芸術」予告編(英語)

 

(翻訳編集・王君宜)

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