「起て!奴隷を望まぬ者たちよ」国歌を口にできない異形の国

2022/08/16
更新: 2022/08/16

国歌は「国民の誇り」

国歌とは、祖国の賛歌であり、国民の誇りと喜びを高らかに表現するものである。

なかには、例えばフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のように、ほとんど軍歌のような勇ましい内容のものもあるが、いずれにしても国民がそれを歌うことに何の制限もないはずだ。

それゆえに、例えばオリンピックの表彰式に、ある国の国歌が流れれば、誰もが優勝者を生んだその国に敬意を表し、姿勢を正して聴くのである。

美しく格調高い国歌と言えば、台湾の「中華民國國歌」が挙げられる。

しかし、昨年の東京五輪で台湾選手が金メダルを獲っても、会場に流れたのは国歌に替わる台湾の「国旗歌」であった。国旗歌と言いながら、正式な国旗である「青天白日満地紅旗」は掲揚されない。一体、何を忖度するのか。残念と言うしかない。

国歌を削除する異常さ

昨今の大陸中国では、国歌に関して、実に不可解な現象が起きている。

インターネット上で、中国のネットユーザーが引用する自国の国歌の歌詞のうち、例えば冒頭の「起来、不願做奴隷的人們」の部分について、何を恐れてか、ネット情報を監視する中共当局が、これを見つけ次第削除している。さらには、発信者を特定するため、血眼になって調査しているのだ。

上に引用した部分「起来、不願做奴隷的人們」の日本語訳は、「起て、奴隷となることを望まない者たちよ」である。
これが、現在の中国が置かれた状況のなかで、どのような意味をもつのだろうか。

「起来」は巨大ブーメラン

端的に言えば、中国共産党にとって、極めて敏感な「禁句」と見なされるのだ。

現在の中国国内の状況に合わせて意味を補足し、同じ部分を解読すると、こうなる。
「起て! 中国共産党の奴隷となることを望まない、中国の人民よ!」
つまり、その文言のまま歌えば、現体制に対する痛烈な「革命歌」になってしまうのである。

起来(起て!)とは、中共が「解放前」と呼ぶ旧時代において、中国共産党が、地主や資本家に抑圧されていた農民や労働者に向かって、反抗と総決起をけしかけた決まり文句である。

つまり、その時代のアジテーションが、今や巨大なブーメランとなって、まさに中国共産党の急所に向かっているのだ。

中共こそが「人民の敵」

歴史は、すでに明らかにしている。打倒すべき「人民の敵」とは、実は中共そのものだった。

それはもはや、歴史の舞台における喜劇の一幕と言うしかないが、その革命劇が本当に「上演」されることを、今の中共当局は極度に恐れていると見てよい。

ネット上の文言にびくびくするなどは、もはや末期症状にある証拠である。それにしても、ここで自国の国歌の歌詞が仇になるとは、さすがの中国共産党も想定外であっただろう。

2020年初頭から続く中共ウイルス(新型コロナウイルス)感染拡大のなかで、中国の一般市民は、まさに奴隷にも等しい、ひどい扱いを受けてきた。
本来の病気のほかに、すさまじい飢餓、理不尽な暴力、何の意味もない強制隔離が市民の生活を完全に破壊したのだ。

とくに、武漢、西安、上海など都市部における厳格な封鎖措置によって、精神に異常をきたし、楼上から飛び降りる自殺者が続出したのも無理はない。

2歳の幼児を1人で家に残し、ただの疑いだけで陽性ではない若い母親を強制隔離するとは、一体何なのか。工具でドアを破壊して家に侵入し、消毒薬を撒きちらしながら、ついでに金品を盗んでいく白服の者たち、あれは強盗ではないか。

結局のところ、病原ウイルスよりも、中共の「清零(ゼロコロナ)政策」のほうが圧倒的に恐るべきウイルスだったことになる。そのことが分かっていても、中共はゼロコロナ政策を今後も続けるという。狂気の沙汰である。

殺された「国歌の作詞者」

話が前後するが、現行の中国(いわゆる中華人民共和国)の国歌は「義勇軍行進曲」といい、1935年の中国映画『風雲児女』の主題歌であった。映画の脚本の作者である田漢(でんかん)は「義勇軍行進曲」の作詞も手掛けている。

『風雲児女』はジャンルとしては抗日映画に分類されるが、小規模に撮影された作品であるためか、激しい戦闘シーンなどはなく、まして中国のテレビドラマではおなじみの「残虐な日本兵」も一切でてこない。

作曲者は聶耳(ニエアル)。この若い音楽家は1935年7月17日、日本滞在中の神奈川県鵠沼海岸で遊泳中に溺れて死亡する。23歳だった。

聶耳(左)と田漢(右)、1933年上海で(パブリック・ドメイン)

一方、日本留学経験もある田漢(1898~1968)は、詩人および劇作家としてその後も活躍する。ところが、文化大革命期において、田漢の文芸は日本文化の影響を受けていると批判され投獄。そのまま獄中で死ぬ。すさまじい拷問の結果であることは疑いない。

蛇足であるが、このような異常な状況下で行われる他者への「批判」とは、その事由にはほとんど正当性はなく、ただ他人を激しく攻撃する「革命的態度」を誇示することによって自身を守る、という原理である。

田漢ばかりではない。この時期に大量に殺された芸術家や知識人は、みな「言いがかり」をつけられて、無残な死に追いやられたのである。

田漢の怨念か?

田漢に対する政治上の批判は、本人の死後も続いた。

そのため、1949年の中共による「建国」以来、実質的に国歌と認知されてきた「義勇軍行進曲」は、文革期から田漢が名誉回復される1979年までの間、公に歌われることはなかった。この曲が正式に中国国歌と認定されたのは、1982年である。

そして2022年の現在。
歴史のいたずらと思うしかないが、田漢作詞の国歌「義勇軍行進曲」は、なんと2回目の「歌うことがはばかられる国歌」になってしまった。

獄中で非業の死をとげた田漢の、すさまじい怨念が歌詞に込められているかどうかは、分からない。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。