マツダ・お好み焼き・カープ、広島企業が復興への希望訴える展示会

2023/05/19
更新: 2023/05/19

[広島市 18日 ロイター] – 19日に始まる主要7カ国首脳会議(G7)の開催地となる広島市は、マツダ・お好み焼き・カープが全国的に有名だ。いずれも78年前の原爆投下の影響を受けており、戦禍のただ中にあるウクライナなどを念頭に、復興の希望を世界に発信しようとしている。

戦前に三輪トラック(オート三輪)の生産を手掛けたマツダ(旧:東洋工業)は、戦況が厳しくなるにつれて軍の命令で軍需工場と化した。三輪トラックは生産停止に追い込まれ、小銃が売上げの半分を占めるようになった。空爆の標的となり、原爆投下で社員119人が死亡、販売会社は創業者と従業員7人全員が犠牲となった。

終戦から約4か月後、マツダは三輪トラックの生産を再開し、まず10台つくった。燃料タンクを譲り受けて切り出した鉄板で車体を作り、復旧ままならない鉄道を乗り継ぎ乗り継ぎ、関門海峡を渡って福岡県久留米市の日本タイヤ(現在のブリヂストン)までタイヤを調達しに出向き、両肩に担いで苦労して広島まで戻った。

マツダはその後、大手自動車メーカーとして成長。ロータリーエンジンを搭載したコスモやRX7、ロードスターなど、世界の愛好家が好む自動車を世に送り出した。

マツダを含め、広島の地元企業26社が18日から6月11日まで戦後復興の歩みを紹介する展示会を市内で開く。核兵器使用の脅威が高まる中、原爆で焦土と化した広島の復興を地元企業がどう支えてきたかを伝え、世界平和を訴えたい考えだ。

実行委員長の池田晃治ひろぎんホールディングス会長は17日、報道陣に対し、「原爆投下から立ち上がった広島の企業が『ワン・広島』で復興に取り組み、現在、未来へとどうつないできたのか、その姿を見てほしい」と説明。「世界で戦禍にあわれている方々にも未来があることを伝えたい」と語った。

会場には、被爆後、街中にできた広島のソウルフードお好み焼きの屋台のレプリカも展示されている。戦時中、広島には鉄を扱う軍需工場が多く、戦後も一般の人が鉄板を手に入れやすかったのが広島のお好み焼きの始まりだ。

終戦から5年ほど経った1950年ごろに2、3件の屋台が目抜き通りに立ち始めた。その数は年々増え、多い時には50件近い屋台が市の中心部にある公園に軒を連ねた。焼きそばが入った広島のお好み焼きに欠かせない「オタフクソース」も、前身の醸造酢の店が原爆で全焼。戦後に開発したウスターソースがお好み焼きに合うとして復興を遂げた。

プロ野球球団の広島東洋カープも1950年に発足し、原爆からの復興のシンボルとして絶大な人気を誇った。創立当初は資金難で存亡が危ぶまれたが、市民が募金活動を展開。球場前に設置した樽に次々と支援金が投げ込まれた。「市民球団」と呼ばれるゆえんだ。

    カープは1975年にセ・リーグを初めて制し、1979年に初の日本一となった。これまでに、エースだった黒田博樹、前田健太両投手をはじめ、4人の大リーガーを輩出。直近では鈴木誠也外野手がシカゴ・カブスに入団してプレーしている。

同展示会では、ハッシュタグ#PrideofHiroshima、#ウクライナの人々へ届け、をつけて展示会の感想もしくは平和のメッセージをツイッターに投稿すると、ウクライナ人道支援を目的として1ツイートあたり100円が実行委員会から日本赤十字社に寄付される取り組みも行っている。

Reuters