先月27日、李克強前首相(国務院総理)が「心臓発作により急死した」と中国官製メディアが報じた。享年68歳であった。
中共の高官であれば、要職を引退した後であっても、十分なメディカルチェックと高度な医療を国費でふんだんに享受できるし、むしろ本人の意思を超えて、完全な健康管理がなされている。
前首相である李克強氏も、当然そうであったはすだ。そのおかげか、8月末に甘粛省の敦煌を訪問した時、李克強氏は極めて健康であった。そのため、あまりに突然なその死をめぐっては、暗殺説もふくめて、さまざまな疑惑が浮かび上がっている。
そうした背景から、中国の民間では「真相を究明するため、李氏の遺体の検死」を求める声が広がっている。いっぽう中共中央の当局は、なぜか火葬を急いでいる模様だ。
先月30日、中国国営メディア新華社通信の元記者で、中国共産党の党員でもある顧萬明氏による公開書簡が、ネット上に拡散された。
顧氏はこの公開書簡を通じて、習近平氏が統括する中国共産党当局に対して、李克強氏の火葬の手配を一時中止するよう呼びかけるとともに、検死などの徹底的な死因の調査、および中国共産党の党内部と全国民に納得のいく説明をすること、さらに前首相の身分にふさわしく格式の高い葬儀を行うことを求めた。
その翌日である10月31日、中国当局は「李氏の遺体を11月2日に火葬する」と発表した。しかし「追悼会」や「告別式」に関しては、官製メディアによる報道では一切言及されていない。
時事評論家の李沐陽氏は、「李克強氏ほどの高級官僚の逝去に際して、追悼会が開かれないことに驚いている」とコメントしている。
ネット上に流出した李氏の霊堂(祭壇)の写真について「これでは、あまりに簡素過ぎる。正国級(国家級正職)の高級幹部である李克強氏には、全くふさわしくない」という声が広がっている。
このように葬儀の格式が低いほか、李氏の訃報を伝える官製メディアの一貫した「軽視ぶり」についても、物議を醸している。中国では通常、国の指導者クラスの人物が死去した場合には、画面をモノトーン調(白黒)に切り替えるという官製メディアの慣例があるはずだが、今回はそれさえも適用されなかった。
メディア関係者から提供された情報によると、李氏が死去した際に「新浪財経」や「東方財富」のウェイブサイトでは一時「白黒画面」に切り替えた。しかしその後「通常通りのカラー画面に戻すように」との通達があったという。
いっぽう、李氏を追悼する民間の動きは、同氏の出身地である安徽省をはじめ、かつての李氏の勤務地など中国各地に広がっている。
首都・北京では、集会の禁止など民間活動への規制が非常に強いため、表立った追悼行事などは行われていない。かつて周恩来(1976年没)や胡耀邦(1989年没)の死後に、北京においてその追悼のため民衆が花束を手に天安門広場へ集結し、それぞれ第一次、第二次の名称がつく「天安門事件」へと発展した前例が、そうした極度な規制の背景にある。
これに対し、李克強氏の出身地である安徽省合肥市の生家には、多くの中国民衆が追悼に訪れ、その門前は人々が手向けた花束で埋まっている。現地の公安当局は、私服警官を現場に多数配置して「(当局にとっての)不穏な動き」の萌芽に目を光らせているという。
いっぽう、上海などでのハロウィンの仮装イベントでは、まさに無礼講のハロウィンにかこつけて、政府に対する不満や皮肉たっぷりに「李氏への追悼」を表現する人も少なくなかった。李克強氏の「お面」をつけて、賑やかに集合写真を撮るグループもいた。
実のところ、李克強という人は、人柄は良く人望もあるとされていたが、そのような個人の評価は別としても、中国人民からとくに崇拝や敬愛されるほどの大きな実績を残したわけではない。
もちろん、独裁者である習近平氏よりも「人民に嫌われていないこと」は確かである。それでも李克強氏が本当にすばらしくて、人々が悲しむあまり、追悼の花束の山が築かれているわけではないのだ。
中国の民衆は今、亡くなった李克強氏に追悼の花束を手向けることで、故人への追悼とは全く別の「もう一つの意思表示」をしようとしている。
このたびの李克強氏の突然の死が、今後の中国にどのような影響を与えるのか、現時点ではまだ明らかではない。
ただ、多くの中国民衆が集まって故人に花束を手向け、その民衆の意思が「死因の真相究明」を求めるまで発展しそうな現状について、習近平氏が、顔をゆがめるほど苦々しく思っていることは想像しても的外れではない。
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