朝鮮戦争(1950~1953)の最中であった1950年11月25日のことである。毛沢東の長男である毛岸英氏は、北朝鮮への援軍である義勇軍(中国人民志願軍)を指揮する彭徳懐司令のロシア語通訳として従軍していたが、この日、米軍機の攻撃を受けて死亡した。
その死をめぐっては、毛岸英氏が火気厳禁の軍規を破り、かまどに火をおこして「卵チャーハン」を作ったエピソードが知られている。
その際「調理の煙が立ち昇り、上空にいた米軍機に位置を知られたためナパーム弾の攻撃を受けて死亡した」という説が、真偽のほどは定かではないが、以前から中国人の間では広く知られていた。
中国共産党の過去に関する「否定的なイメージ」を拭い去り、不都合な歴史を「修正」するために習近平によって創設された「中国歴史研究院」は、この民間の伝承である「卵チャーハン説」を否定し、それとは異なる説を公表している。
そのような背景があるため、中国では現在でも「蛋炒飯(卵チャーハン)」は毛岸英氏の失態を暗示する代名詞と言われかねないため、使用する際には、よほど注意が必要な言葉になっている。
実際、中国のネット検閲当局は、ネットユーザーなどが「卵チャーハン」を毛岸英氏に結びつけることに、異常なほど神経をとがらせている。
例えば「卵チャーハン」の使い方や発信時期を間違えると、本当に警察が家に飛んでくるかもしれないのだ。あるネットユーザーは「卵チャーハンに感謝する」と書き込みをしただけで、現地公安によって10日間も拘留されている。
さて今回「卵チャーハン」が問題視された原因は、やはり動画を投稿した日付にあるようだ。
投稿したのは、中国の料理人として有名であり、自身が出演する料理動画を積極的に発信している王剛氏である。大きな中華鍋を自在に操り、自信満々のカメラ目線で料理を紹介しながら調理する王剛氏の番組は、国内外に多くのファンをもっている。
その王剛氏が今回、卵チャーハンを作って投稿したのが「11月27日」。毛沢東の長男・毛岸英氏の命日である11月25日の2日後であった。
これに目ざとく気づいた愛国小粉紅、つまり狂信的な愛国主義のネットユーザーが「王剛が、卵チャーハンで烈士を侮辱した」などと騒ぎ立てたため、王氏への批判が殺到することになる。
王氏は動画を投稿した27日、すぐに関連する動画を削除した。さらに、自身の複数の中国SNSに「卵チャーハン」に関する謝罪動画を載せた。そのなかで王氏は「料理人として、卵チャーハンは二度と作りません」と誓った。
王剛氏は、プロの料理人である。料理人が卵チャーハンを作ることに何の不思議もないが、王氏はなんと「二度と作りません」とまで宣言したのだ。
実のところ、王氏はこれまでの動画のなかで、何回も卵チャーハンを作って配信している。さらには、王氏が「卵チャーハン」で物議を醸したのは、今回が初めてではなかった。
例えば2018年と2020年にも、王氏は「毛岸英氏の命日にちかい日」に卵チャーハン関連の動画を投稿してきた。その際にも、同様の非難の声が上がっていたが、これに対して王氏は「私は、ただ美味しい料理をシェアしたかっただけで、何も知らなかった」と釈明している。
2021月3月、中国共産党は、刑法の一部を改正し「英雄烈士の名誉・栄誉侵害罪」を新たに追加した。以来、ネット上への投稿が「(歴史上の)英雄や革命烈士を侮辱している」として拘束される市民が相次いでいる。
同じ2021年の10月7日、朝鮮戦争をテーマにした反米映画『長津湖』について疑問を呈した中国人ジャーナリスト・羅昌平氏が逮捕された。
羅氏の逮捕と同じ日に、江西省南昌市でも「英雄を侮辱した」として、市内在住のネットユーザーが警察に10日間拘束されている。そのユーザーの書き込みは、こうだった。
「あの寒戦(朝鮮戦争)で得た最大の成果は、卵チャーハンだ。卵チャーハンに感謝する。もし卵チャーハンがなかったら、私たち(の中国)は曹県(北朝鮮)と変わらない。もちろん今でも(北朝鮮の食糧事情のひどさは当時と比べて)大差はない。本当に悲しいことだ」
「卵チャーハン」が禁句であることに関しては、個人に限らず、国有企業のSNSアカウントであっても同じである。うっかりこの「地雷」を踏めば、当局はただでは済ませないようだ。
中国国有通信企業、中国聯通(チャイナ・ユニコム)の傘下にある子会社、江蘇聯通のSNS微博(ウェイボー)のアカウントは、2021年10月23日と24日に「卵チャーハンの作り方」を掲載した。10月24日は毛岸英氏の誕生日である。
そこでも同様に、ことさら騒ぎ立てる愛国主義者たちから「毛岸英氏を侮辱した。投稿者を逮捕せよ」などの要求が当局に寄せられた。
その後、江蘇聯通は関連投稿を削除したが、ネット検閲当局は「コミュニティポリシーに違反した」として同アカウントを一時ブロックした。
このような不可解な先例があるため、いまや「英雄烈士を侮辱した」と非難されるのは、非常にリスクを伴うことになっている。
しかし、元をたどれば、たかが「卵チャーハン」である。それを「禁句」とする中共当局のあまりの過敏さには驚きを禁じ得ないが、実際これを揶揄するかのように、ネット上には「中国版の感謝祭」として「卵チャーハンデー(蛋炒飯節、Rice With Egg Day)」というのがある。
この「祭日」は中国のネチズンが作ったもので、73年前に「卵チャーハンが、中共の毛一族の世襲の可能性を絶った」ことに由来するという。
それを名誉の戦死と呼ぶか否かはともかく、28歳の若さで亡くなった毛岸英氏について、死者に鞭打つような心無い言葉は慎むべきであろう。
ただし「中国が、北朝鮮のような世襲王朝にならなかったこと」は、中国人にとって一つの関心事であることは間違いない。
世襲の代わりに、中国共産党は今でも、一党独裁による強権政治を敷いている。しかし、その一方で、なぜか彼らは「卵チャーハン」を極度に恐れているのだ。
こうした不可思議な構図は、もはや一種のブラックジョークであるといっても過言ではない。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。