気候変動問題、世界からズレる日本 「化石賞」騒ぎから考える

2024/03/19
更新: 2024/03/18

国際政治経済の需要な議題だが…

気候変動・温暖化は国際政治・経済の場で重要な課題だが、日本ではそれほど話題にならない。しかし、気候変動による経済の規制を激しく批判する米国のトランプ前大統領が、今年11月の大統領選挙で再選される可能性が出てきたことで、今後は政治的な論争が増え、これまで以上に大きな関心を集めることが見込まれる。実際に、異常気象や気温の上昇傾向は続いており、化石燃料の大量使用とそれに伴う温室効果ガスや二酸化炭素の増加が絡んでいる可能性が高い。

私個人としては、欧州で流行っているような化石燃料の使用停止という極論ではなく、日本の得意分野である省エネ機器の普及など、企業の活躍で問題を解消していくことが必要と考えている。

ところが、日本での気候変動をめぐる議論は的を得ていない。それはメディアのおかしな報道が影響している。「化石賞」をめぐる議論を紹介し、考えてみたい。

「化石賞」を日本が連続受賞

化石賞とは、国連の気候変動枠組条約締約国会議(COP)で、環境関係のNGOが交渉で後ろ向きと考える国を選ぶものだ。COPは国家間の国際会議なのに、NGOの関与を認めてきたが、それはプラスとマイナスの双方の面がある。多くの人が参加することで議論がオープンになる一方、環境保護重視派のNGOの存在感が増し、議事進行を混乱させることもある。

COPは国家間の国際会議なのに、その事務局はNGOが出席し、場合によって意見を述べることを1995年のCOP1から認めてきた。

スウェーデンの環境保護活動家のグレタ・トゥーンベリさんを、COPの事務局が利用して、会議内で発言させていたが、2021年の英国グラスゴーで行われたCOP26では、彼女が過激な主張で議事を妨害し、事務局が会期途中で会場内の立ち入りを拒否する珍事が起こった。
 
その中の一部のやや環境保護に過激な主張をするNGOがこの化石賞の選定を行う。会議では各国代表が毎日発言をするが、それを傍聴する各NGOによって「環境保護至上」という彼らの価値観に基づいて、その日に一番後ろ向きの主張をしたとする国が選ばれる。
 
COP28がアラブ首長国連邦のドバイで23年12月に開催され、そこでも毎日化石賞が選ばれた。日本は今回2回受賞した。特に米、日が頻繁に選ばれる。多くの原子力発電所が過剰な規制で止まり、化石燃料に頼らざるを得ない日本は、毎回の化石賞の常連だ。今回は気候変動問題で目立つ存在ではないイスラエルが、パレスチナを攻撃したとの理由で1回受賞した。このように恣意的に選ばれている。

そして、なぜか中国は受賞しない。中国は世界で一番、二酸化炭素など温室効果ガスを排出している。環境汚染もひどい。COP28では、時事通信が「『化石賞』なぜ日本ばかり? 中国、際立つ少なさ」(23年12月9日)と報じ、各国代表が中国の受賞がないことを不思議がると伝えていた。報道できないだろうが、欧米系NGOに中国が資金援助をしている噂が流れており、それが中国への配慮を生んでいるのかもしれない。
 
日本以外のメディアは化石賞をほとんど取り上げない。この賞はNGOのパフォーマンスで、意味がないと見ているのだろう。

毎年「化石賞」を日本メディアが過剰報道

ところが日本のメディアは、この化石賞に注目する。今回のCOP28では官房長官会見で日本が賞を取るたびに各社の記者が聞き、「日本の化石賞に『コメントせず』 官房長官、気候変動対策巡り」(共同、同月4日)という記事が出た。経済産業大臣の記者会見でも話題になり「『日本の技術理解されていない』、化石賞、経産相反論」(朝日、同月7日)と、記事になった。いずれも政府と日本企業の批判をした。
 
タイトルで推測できるように、化石賞を取ったことを「大変だ」とメディア側が喚き、政府要人に釈明させる内容だった。同じような構成の記事を私は何度も何度も、毎年のCOPごとに読んでいる。
 
今回のCOP28では化石燃料からの移行の合意、有志諸国による原子力活用宣言、決定文書が初めて原子力に言及するなど、新しい動きがあった。また懸案になっている、途上国への先進国の資金援助問題で損失と損害(ロス&ダメージ)の資金アレンジメントの交渉の継続も決まった。またグローバルストックテイク(GTS)と呼ばれる1.5度目標実現のための各国の取り組みを深める方向も議論された。
 
一方で、各論点で具体策の踏み込みがされず、ウクライナ戦争の後で化石燃料の供給に不透明感がます中で、早急な脱化石燃料の動きに各国の政府や企業が、戸惑う姿も見えた。
 
しかし日本のメディアの解説は、深い内容のものは少なかったように思う。特に、日本の大手メディアは原子力発電が嫌いなためか、今回のCOP28での原子力への評価確認の動きはほとんど伝えていない。こうした本筋の話ではなく、化石賞という外れた動きに注目する日本のメディアのニュース感覚はおかしい。

安易な政府批判が社会に悪影響

日本のメディアの傾向として、政府批判、企業批判の情報を好む。特に海外からの日本批判に飛びつく。化石賞は、その日本批判に使いやすい。記者は軽い気持ちで「化石賞」という、世界で誰も注目していない話を、取り上げるのかもしれない。
 
ところが日本社会に、これは悪影響を与えているようだ。大学生と話し合う機会があった。日本には、環境・省エネの領域で世界トップクラスの技術や製品シェアを持つ企業が多いことを説明した。すると「知らなかった。環境後進国だから経済成長が遅れたと思い込んでいた」と、この大学生は驚いた。
 
私は逆に、その誤解がどのように生まれたのか、興味を持った。聞いてみると「気候変動の交渉の会議で化石賞を取ると報道されるから」と、その大学生は答えた。別の機会に、化石賞を受賞するとの理由で日本の経済界を批判する若者と出会ったこともある。メディアのいいかげんな報道が、社会をゆっくりと見えない形で傷つけている。

複雑化する社会で、一般人はメディア報道に頼らざるを得ないが、それなのにエネルギー・気候変動分野での日本のメディア報道はあまりにもおかしい。
 
報道関係者には、日本政府や企業を、無意味におとしめることはやめ、プロとして人々を唸らせる報道をしてほしいと願うが、それがなかなか実現しない。

気候変動問題、そしてそれに密接に関係するエネルギー問題での、日本のメディアのバイアス(偏向)を警戒して、私たち日本国民は情報を触った方がいいようだ。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
ジャーナリスト。経済・環境問題を中心に執筆活動を行う。時事通信社、経済誌副編集長、アゴラ研究所のGEPR(グローバル・エナジー・ポリシー・リサーチ)の運営などを経て、ジャーナリストとして活動。経済情報サイト「with ENERGY」を運営。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。記者と雑誌経営の経験から、企業の広報・コンサルティング、講演活動も行う。