過去数年間、自動車のメンテナンスの問題は煩わしいものではあったが、悲惨なものではなかった。見渡せば常に自動車の修理工場があり、部品は即刻手に入ったものだ。本当に困ったことはなかった。自動車は改良を続け、修理の回数が減り、長持ちするようになった。
それが近年変革してきており、今あちこちで問題が発生している。破損が生じると、何日も、あるいは何週間も待たされることになる。コロナ期におけるロックダウンにより、多数が引退あるいは転職した。そのため、ほとんどの修理工場は、何をするにしても長い待ち時間を強いられるのだ。
そして、高インフレの影響を被るサービス業と同様、修理コストはまったくショッキングなものだ。
自動車のハイテク化が進んだことにより、交換部品の価格や修理作業量が跳ね上がっている。車載クーラーやバッテリーを交換するまでは、ハイブリッド車やEVに対し好感を持っていた人も、クーラーやバッテリーなどの請求書が届くと、彼らはショックで気を失い、古き良き内燃機関の時代に思いを馳せるようになる。
問題はまだ始まったばかりだ。バイデン政権はEV普及策を推進する一方、輸入モデルの阻止に取り組んでいる。これは、中央指令型経済モデルだ。ただ米経済の基盤的な構造はやはり消費者の需要と消費に依存している。
一方、EV市場に消費者の需要が低下していることを示す例は枚挙にいとまがないほどだ。我々はEVを試したが、好みではない。寒冷地では上手く走れないし、長旅には向かない。ガソリンを節約することに至っても期待したほどではない。
都市部の通勤用としての需要は常に限られている。すべての人にとってEVがスタンダードにはなり得ない。高速道路もその重量を支えることができず、送電網がその圧力を支えることもできない。
このような現状を考慮しても、バイデン政権には5か年計画があり、それに従っている。バイデン政権は止まらない。今政権を担っている一部の狂信者たちは、アメリカの伝統的な自動車を無力化し、ゴルフカートに変えることが、電力配給、「15分都市(必要なものはすべて自宅から徒歩または自転車で約15分圏内)」、完全な市民監視への布石を敷いていると知っている。彼らは長期的な視野に立っている。EVを推進することは気候変動の問題ではない。統制のためなのだ。
伝統的なアメリカ車を切り捨てようとするこの一連の動きには、歴史的な皮肉が込められている。
第二次世界大戦後、アメリカでは鉄道に重点を置くのをやめ、個人や家庭向けの自動車に全面的に乗り出すべきだという決定が上層部から下った。このことは、自由と選択の幅を広げる理念として担がれたが、その背景には別の理由があった。つまり、自動車ロビーは鉄道ロビーよりもはるかに強大になったことによってもたらされた結果だったのだ。
すべてが不可解だ。19世紀、アメリカは鉄道の世界的リーダーだった。1830〜1860年までの30年間で、運行されていた線路は30マイルから3万マイルまで延長された。南北戦争後、鉄道は米国の経済発展の中心的存在であったのだ。鉄道会社の多くは、腐敗が避けられない官民連携で運営されているが、完全な民間鉄道会社もあった。
一例を挙げれば、北米の大陸横断鉄道「グレート・ノーザン鉄道」を敷設したジェームズ・J・ヒル氏は、鉄道王として知られ、彼は政府の規制に猛烈に反対した人物でもあった。
米国において、鉄道は歴史に残る大きな役割を果たしたのである。鉄道はいわゆる「金ぴか時代」における富を生む基盤であり、将来に対する国民全体の楽観主義の論拠でもあった。今日でも、子供たちは鉄道や列車のおもちゃを集めるのが大好きだ。
第二次世界大戦後、自動車と広範囲に及ぶ道路網に完全に目移りした。今日、アメリカで列車に乗ったことがないという人がいるのは、はなはだ奇妙なことだ。鉄道が本当に普及しているのは、北東回廊(ワシントンD.C.からボストンまで735kmを結ぶ鉄道路線)だけだ。
私は数年前まで電車に乗ったことがなかった。移動手段としての列車の素晴らしさに驚かされた。安定していて、落ち着きがあり、信頼できる。飛行機と違って、セキュリティー祭りのような狂気じみた検査もない。5分前にホームに立ち、乗車し、出発する、たったこれだけだよ。
修理、事故の回避、天候への対応、暗闇での運転など車を巡るフラストレーションはまったく考えなくていい。運転は疲れるが、電車ではリラックスできる。
総合的に見て、鉄道は非常に優れた交通手段である。米国が鉄道の技術的優位性を捨てて、自動車だけに投資したのは実に奇妙なことだ。その究極の現れが、アイゼンハワー大統領が提案したインターステート・ハイウェイ(州間高速道路網)である。1956年に始まったこのシステムは、それまでのアメリカ史上最大級の大失策となった。
当時は冷戦期で、政府は核の脅威にさらされたこの時代について真剣に考察していた。高速道路網は、核の輸送に有利であり、緊急事態に市民が避難するために設計されていた。しかし、用意周到に考えらえた計画ではないように思える。混雑した高速道路で、みんなが一斉に街を出ようとしたら、どうなるだろうか?
このシステムの最悪の特徴は、富を完全に再分配することだった。アメリカは以前国中に魅力的な道路網を整備していた。彼らは町から町へと移動しても、いたるところにレストランやホテルがあった。
そのような小さな拠点は鉄道の駅によって補完され、旅行者が行く先々でその土地の文化を味わえるように、全国各地それぞれ特有の文化や魅力をつなぐネットワークが築かれていたのだ。
州間高速道路システムはそれらをすべて吹き飛ばした。新しい高速道路の建設地は、政府がロビー活動の圧力に応えるために選択したのだ。町全体が死んだ。そして鉄道の駅も死んだ。そして、多くの企業も一緒に埃をかぶった。
州間高速道路の周辺には、戦後新たに流行したフランチャイズ店を中心とした新しい経済発展がなされた。今、人々は高速道路を何日も運転しても、まったく新しい店を見ることができず、一緒くたで、ドライブから色彩が失われた。アイゼンハワー氏の大計画がそうさせたのだ。
今、ヨーロッパを回っている友人がいる。バルセロナ、アムステルダム、ベルリン、プラハ、ブダペスト、ローマと回っている。彼の旅の手段は 高速鉄道「ユーロスター」だ。これらの列車で、彼はすべての仕事をこなし、礼儀正しいウェイターと3コースメニューのあるレストランで食事をし、素晴らしい睡眠をとることができた。豪華で、効率的で、楽しくて、誰もが手頃な値段で利用できる。
ヨーロッパにはこれがあるのに、アメリカには一部の地方鉄道とスナックバー付きのアムトラック(全米鉄道旅客公社)しかないのはなぜだろう?華麗な列車の旅に完璧に適していたアメリカが、それをすべて放棄して自動車に全面的に投資したのはなぜか? そして、こうした失敗例があるのに、なぜ今になって連邦政府は、旧式の自動車を手放し、機能性の低い新しい自動車を買えと言うのだろうか?
世界の多くの地域に、この国で発明された技術に基づく素晴らしい鉄道システムがある一方で、アメリカには主に貨物輸送に使われる老朽化した鉄道システムがあり、現代人のほとんどが列車に乗ったことがないというのは、実に不名誉なことだ。アメリカ人がヨーロッパに行って観察すれば、自分たちが何を見落としているかがわかるはずだが、ほとんどの人は気づいていない。
だから今、バイデン政権は、政府が支援するEVに対する需要が減少しているという証拠が山積しているにもかかわらず、その自動車をも破壊しようとしているのだ。歴史は教訓を残す。政府は産業技術の勝者と敗者を選ぶのをやめ、市場に任せるべきだ。
鉄道の優位性が明らかであるにもかかわらず、いまさら鉄道に焦点を当てるのは遅すぎる。必要なのは、また別の交通優先のインフラを強化する計画なのだ。くだらないことはやめて、消費者が交通技術を判断できるようにする時がきたのだ。
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