【寄稿】JAL123便は撃墜されたのか? 元航空自衛隊員が振り返るマスコミの世論戦

2024/06/10
更新: 2024/06/13

日航ジャンボ墜落事故

5月31日、日比谷野外大音楽堂で開かれた「WHOから命を守る国民運動」の集会で、林千勝氏が「JAL123便撃墜」と述べ、山岡鉄秀氏が、航空自衛隊がJAL123便を撃墜した可能性に言及したのには驚いた。

私自身はこの集会の趣旨には基本的に賛成で、4月13日付で大紀元に「パンデミック協定と国際保健規則の改定の危険性 国際機関は汚職天国だった?」を寄稿している。

そこで、この集会も動画配信で見ていたのだが、「JAL123便撃墜」と聞いて驚愕した。日本航空123便は1985年8月12日に群馬県に墜落し乗員乗客520人が犠牲となった。だがこれは、墜落事故である。何者かによって撃墜されたなどという可能性は皆無なのだ。

私は、このとき航空自衛隊の埼玉県にある入間基地の部隊に所属しており、事故が起きてからは急遽編成された災害派遣隊の本部で、不眠不休の態勢で任務を遂行した。

私自身が現地に赴いたわけではないが、車両で隊員を次々に送り出していくのである。現地に着いた隊員からは、順次報告が上がってくるから、これをまとめて上級司令部に報告する。それに対して上級司令部から新たに命令が下り、その実行の手続きに忙殺された。

この日、レーダーから機影が消えたのは18時56分頃だが、そのレーダーは航空自衛隊のレーダーである。墜落現場を確認した偵察機も航空自衛隊である。この事故には始まりから終わりまで航空自衛隊は総力を挙げて対処したから、任務が終了した後も、同僚たちとこの話題で持ちきりだった。

だがその話題のどこをとっても撃墜の可能性を示唆する点は皆無だったのである。

日本全域を監視する空自のレーダー

航空自衛隊は日本全国28カ所にレーダー基地を設置しており、日本および周辺の空域を24時間くまなく監視している。この空域を飛行する航空機は事前に飛行経路を報告しているから、飛行経路を外れれば、空自は直ちに認識できる。

1985年8月12日、18時24分にJAL123便が伊豆半島南部で操縦不能に陥り予定航路を外れ迷走を始めた段階で、空自は異常を認識しレーダーによる追尾を開始した。そして18時56分に群馬県上空でレーダーから機影が消えたことから墜落の可能性を認識し、百里基地からF4ファントムが緊急発進し、御巣鷹山の尾根に火災が発生しているのを視認し、墜落した模様だと判断し、災害派遣が下令された。

空自の戦闘機が訓練中にJAL123便を誤射したのではないかとの疑惑が一部で囁かれている由だが、あり得ない。空自の戦闘機の訓練空域は、民航機の航路と隔たった海域上空に設定されており、伊豆半島周辺には設定されていない。

米軍機の場合、海域とは限らないが民航機の航路と隔てられた空域に設定されている点は空自と同様である。そして米軍機であれ空自機であれ、空自のレーダーにより、厳しく監視されており、訓練空域から外れそうになれば直ちに警告を受けるのである。

この日に米軍は訓練を行っており、もしや米軍機の誤射かとの報道が一時駆け巡ったが、直後に否定された。空自のレーダーはすべてを監視しており、その事実がないことは明白だったのである。

自衛隊にも米軍にも批判的な当時のマスコミ

空自か米軍が誤って撃墜し、その事実を国家ぐるみで隠蔽し、大手マスコミも、これに協力したと言う様な風説が囁かれているとの事だが、当時の状況を無視した暴論としか言い様がない。

昨今でこそ大手マスコミは一様に自衛隊や米軍に好意的な姿勢を示すようになったが、当時は、そうではなかった。いまでこそ、地上波で自衛隊の特集番組が頻繁に肯定的なスタンスで放送されているが、当時は自衛隊が不祥事以外でテレビの特集に取り上げられることは滅多になく、たまに取り上げられることがあっても、否定的なイメージでしかなかった。

ちなみに当時、インターネットは日本にはまだなく、テレビが最大のメディアだったが、民放テレビは新聞と系列ごとにまとまっており、新聞の論調はそのままテレビに反映される仕組みだった。

当時、防衛庁記者クラブに朝日新聞の田岡俊二氏という名物記者がいた。軍事ジャーナリストとして有名な人で、並みの自衛官などよりも軍事に精通していたから、自衛官にも恐れられた存在であった。

朝日新聞は当時、自衛隊にも米軍にも否定的であり、しかも社会的に最も影響力のあるマスメディアだった。朝日新聞が自衛隊を叩けば、他の新聞もテレビも一斉に朝日に倣って叩き始めるから収拾がつかなくなる。

自衛官の中にも「田岡ファン」が出現し、田岡氏に自衛隊の内部情報をもらす自衛官も多々いた。

JAL123便墜落直後から、田岡氏は自衛隊の行動に難癖をつけ、それに倣った各マスメディアの記者たちは、記者会見で当時広報室長であった佐藤守一等空佐を吊るしあげるような状況だった。

「自衛隊は何かを隠しているのではないか?」そんな疑惑の眼差し、針の筵の中での記者会見に数週間に渡って臨んだ佐藤室長は、「隠し事など一切なかった。持っている情報はすべて出した」と後に私に述懐したものだ。

自衛隊解体を目論んでいた朝日新聞

当時の朝日新聞のスタンスは、「自衛隊は憲法違反、日米安保反対」で、要するに自衛隊はない方がよく、米軍は日本から出て行けというわけだから、自衛隊や米軍の不祥事を鵜の目鷹の目で暴き出して叩きまくることをモットーとしていた。

自衛隊が不祥事を隠そうと言う素振りを見せただけでも、「軍事優先の隠蔽体質」と騒ぎ出し、他のマスメディアもこれに追随するのである。

もし米軍や自衛隊が民航機を誤射して撃墜するような不祥事を惹き起こしていたら、仮にこれを隠蔽しようとしても田岡ファンは必ず田岡氏に通報しただろうし、これを知った朝日の記者は、これこそ自衛隊を解体し、米軍を追い出す最大のチャンス到来とばかりに書きたてることは必定であった。

当時、自衛隊はマスメディアに隠し事できる状況ではなく、またマスメディアが自衛隊の隠し事に協力するなどという状況ではまったくなかったのである。

(了)

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
軍事ジャーナリスト。大学卒業後、航空自衛隊に幹部候補生として入隊、11年にわたり情報通信関係の将校として勤務。著作に「領土の常識」(角川新書)、「2023年 台湾封鎖」(宝島社、共著)など。 「鍛冶俊樹の公式ブログ(https://ameblo.jp/karasu0429/)」で情報発信も行う。