北米・中南米 気候変動に関する恐怖を煽る一般的な合意は崩れつつ

カナダ投資家、顧客にEVの購入を強制するのは市場の現実に反する

2024/08/02
更新: 2024/08/04

論評
 

温暖化対策に伴う、危機感を過剰にあおる恐怖が徐々に放棄される中で、カナダのEVへの取り組みは、次第に不合理だと映るようになっている。

アメリカ合衆国で何十億ドルもの資金が、EV充電スタンドの設置に投じられている一方、カナダはそのような大規模な投資を回避している。

アメリカでの新しい充電スタンドは、まだほんの一握りのステーションしか開設されていない。その一方で、多くの自動車メーカーはEVの製造計画を縮小している。

カナダの当初の計画は、国全体で強制し奨励によってEVを普及させるものだった。だが、電池のニッケル供給源、火災や洪水時の安全対策、充電スタンドの大量設置、車両製造者、そして多数の自動車労働者の失業問題など、多くの点で十分な考慮がなされなかった。

EVは確かに魅力的な面もある。静かさやガソリン(汚れやすく、非常に燃えやすい液体)を使用しないことはその利点である。これまでのEVの信頼性の進歩も顕著だ。カナダ出身のイーロン・マスク氏は、この新しい輸送手段を先駆けて推進したことで、大きな功績と莫大な富を築いている。彼がこれを、無人タクシーや、人々の移動手段やあらゆる種類の物資の輸送方法における他の革命的な発展への一歩と見なすのは当然だ。

しかし、EVへの急激な移行によって、安全性と供給の複雑さの科学的実証実験の分析、その供給源や主要部品の調整がまだ完了していないのは事実だ。カナダ政府を含め、多くの欧米諸国は、急進的な気候変動の危機を理由に、未熟なEV分野に早急に飛び込んでいる。

生き残りのために必要という、どうすることもできない不可抗力は、急進的な気候変動の差し迫った脅威のために作られたものである。非人間的な存在になるのを防ぐために、世界の多くの人々が同意し、二酸化炭素排出量の大幅な削減が必要だと主張している。

また、内燃機関への愛着に固執する大衆の嗜好に応えておらず、これらの車両は、十分な数が生産されることを確実にするための適切な措置もまったく講じられていない。自動車産業は劇的に縮小し、何千もの熟練自動車労働者が失職した。かつて強力だったカナダ自動車労働者組合の労働者たちは、現在、さまざまな商業言語を話す多言語組合の林業労働者に必死にしがみついている。

長年にわたって気候変動に関する恐怖をあおる一般的な合意は崩れつつある。迫り来る災害の無数の予測は実現しなかった。何十年も前に、我々は「気候変動による災害を避けるための猶予期間は10年しかない」と言われきた。氷河は溶け続け、ツバル国は完全に水没し、北極熊は絶滅する。揚子江からザンベジ、ナイル、セーヌ、テムズ、テベレ、セントローレンス、ハドソン、ミシシッピ川に至るまで、世界中のすべての川の水位は20フィート(6メートル)以上上がり、堤防から水が溢れているだろうと予想されていた。

もちろん、これらの過激な予測は現実のものとならなかったが、それは気候変動に伴う変化を甘く見る理由にはならない。我々は、世界経済に過度な困難を引き起こすことなく、実用的に可能な限り世界の空気と水の汚染を減少させる努力を続けなければならない。

気候は変化しているが、過去500年以上にわたって測定されてきた確立されたサイクルの範囲内にあるとされる。これまで集められた膨大な証拠から、これらの変化は人為的要素が何であるか、またはそもそも存在するのかが明確ではない。

第二次世界大戦中の6年間、環境に対する恐ろしい攻撃が毎日行われ、歴史上唯一の軍事的原子爆弾の使用にもかかわらず、気候や世界の気温に顕著な影響は見られなかった。

何をすべきかについて真の合意が得られるまでは慎重に行動しなければならない。研究を強化すべきであると主張する人で正気の人はいない。科学者の98%が「炭素排出ゼロ目標」を支持しているという主張は、幸いなことに完全な詐欺であることが明らかになった。この問題は、どの側面にも監視と実用的に可能な限りの少ない汚染が望ましい、という合意以外は存在しない。

このテーマ全体は、次第にそれが設立された政治的枠組みに戻りつつある。私が以前、ここや他の場所で何度も言及したように、気候変動の恐怖は1990年代初頭の冷戦で、国際的な左派が決定的に敗北した後に突然現れた。

国際左派は、それまで本物の自然保護論者や熱心な自然主義者が占めていた環境保護論者の集団に、驚くべき機敏さと予想外の即興の才能で群がった。彼らは運動を掌握し、生命そのものと地球の安全と未来を守ると主張しながら、新しい観点から、資本主義を攻撃するため、城壁を打ち壊すハンマーに変えた。

このでたらめが、科学者コミュニティの啓蒙的な集団意見として表われた。特に費用もかからず、これらの目標に対する合意を維持するのは比較的簡単だった。しかし、環境問題の取り組みに高額なコストを伴うようになり、西側諸国が直面する生活費の上昇とともに、この問題に対する支持は低下した。

アメリカ連邦政府には、現在または将来の政権にかかわらず、強制的な電気自動車への移行を撤回するという賢明な選択が求められている。歴史はこの時代を、17世紀のチューリップ・バブル(17世紀、オランダで起きた史上初の記録されたバブル経済現象)や18世紀の南海泡沫事件(1711~1720年にかけてイギリスで発生した大規模な経済バブルとその崩壊)と同様のものとして見るだろう。この運動は強力な政治運動によって支持されている。科学の要請に対して正当な主張はなかったとしても、驚くべき自己改革能力を示さなければならない。

EVの販売は低迷し続け、中国車が近いうちに我が国の自動車市場を席巻することはないだろう。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。