2024年8月4日に掲載した記事を再掲載
論評
7月28日、東京で行われた「2プラス2」安全保障協議において、アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官は、木原防衛相と上川外相と拡大抑止協議(EDD)を行った。日米両国は2010年以来、EDD協議を実施しているが、このレベルでの開催は今回が初めてだ。
拡大抑止とは、アメリカが自国の核兵器を利用して、核兵器を持たない日本を防衛する可能性を指す。日本は、アメリカの「核の傘」の確実性を重視し、核の脅威を避け、中国(共産党)、北朝鮮、そしてロシアからの攻撃を抑止することを望んでいる。故安倍晋三元首相は、アメリカの核の傘の推進者であり、アメリカが日本に核兵器を配備しても構わないと示唆していた。
アメリカ側は、日本が「信じて待つ」ことを望んでいるが、日本は具体的な保証を求めている。明確な保証が最も望ましい。
過去30年にわたる中国(中共)の軍事的拡張は、日本にとって既に問題となっている。核兵器を加えると、状況はさらに悪化する。
中国は日本を何度も攻撃できる核兵器を保有しており、実際に使用する可能性を示唆している。
北朝鮮も複数の核兵器を持っている。
このため、彼らの脅しの刃が日本の首先にあるということだ。
アメリカは、日本の懸念を和らげるために、具体的な対策を講じる必要がある。そのためには具体的な行動が必要であり、口先だけで確約するのではなく、アメリカに行動する意志があることを日本に納得させる必要がある。
ブリンケン氏とオースティン氏が成功したかどうかは、今のところ未解決の問題だ。
日本のパラドックス
日本は表向き平和主義国とされているが、その平和主義は一風変わっている。
日本には相当規模の軍隊があり、それが「自衛隊」と呼ばれているに過ぎない。平和主義の日本は、日本に脅威を与える者を排除するためにアメリカ軍が常駐していることを常に歓迎してきた。
しかし、核兵器に関しては、その矛盾がさらに際立っている。
日本は、第二次世界大戦の終盤、1945年に2回にわたり核兵器で攻撃された唯一の国である。また、数十年にわたり核不拡散を推進し、今もその姿勢を続けている。
しかし、日本の核アレルギーは、部分的には本物であり、部分的には心因性であるように感じられる。長い間、日本が核兵器を必要とするような脅威に直面することはないという信念に支えられてきた。
日本の核兵器への反感は、核兵器自体よりも、第二次世界大戦中に日本が経験した大災害によるものが大きい。そして、1941年から1945年の戦争は、1931年に始まった中国での血塗られた泥沼の戦いの延長であった。
アメリカによる東京への大規模な焼夷弾攻撃(東京大空襲)は、1945年8月の核攻撃と同じくらい恐ろしいものだった。太平洋での地上戦も同様に恐ろしいものだった。
日本は戦争中に約300万の軍人と民間人が死亡した。これを人口比で調整すると、アメリカが約600万人の死者を出すのと同じ規模である。
戦後、アメリカでは勝利パレードが行われ、退役軍人を大学や住宅へ導くGIビル(復員兵援護法) が導入された。一方、戦後の日本は廃墟となり、飢餓で死ぬこともあった。
広島と長崎に投下された原子爆弾は、戦時中の死と苦しみを象徴している。核兵器がタブー視されるのは驚くにあたらない。
しかし、時代は変わり、日本に対する脅威は現実的に差し迫っている。
最も重要なことは、日本は、憲法が制定されてから間もなく、必要に応じて何度も解釈が変更されてきたにもかかわらず、常に自国を守るために、必要なことを行う用意があったということだ。
現段階で、公然とアメリカの核兵器を、日本の防衛計算に取り入れることは、それほど驚くべきことではない。それは常識であると言える。
アジアで核軍拡競争?
ワシントンでは長年、日本が核武装すればアジアの核軍拡競争につながるのではないかと懸念してきた。
しかし、この競争は何十年も続いており、核軍拡競争に参加しているのは中国と北朝鮮の共産主義独裁政権だけだ。そして彼らは勝利している。
アメリカの核のコミットメントに疑念を持たせることができれば、彼らが勝利したことになる。
アメリカは日本に対して十分に確固としたコミットメントを示すことができるだろうか? アメリカはそれを試みてきたが、容易なことではない。
日本の指導者たちは1975年に、南ベトナムが共産主義の侵攻に陥るのをアメリカが見過ごしたことを考慮し、アメリカが何かをするという約束が実際に行動に移される保証はないと結論付けるかもしれない。
そして、日本は、たとえその約束がいかに堅固であると宣言されていたとしても、アメリカ政権が他国のために自らの破滅の危険を冒すかどうかを疑うかもしれない。
日本が核武装する可能性はあるのか?
日本が拡大抑止にこだわる背景には、アメリカの支援に頼れないとすれば、日本独自の核兵器を製造するかもしれないという暗黙の示唆(脅迫とは呼びたくない)がある。
核兵器の製造と配備能力の開発は、日本が望めば難しくはない。核兵器とミサイルの両方に詳しいある評論家が以前、私に語ったことがある。
「彼ら(日本)が単純な原子爆弾を望むなら問題なし。もし強化された原子爆弾を望むなら少し努力が必要だ。もし本格的な水素爆弾を望むなら多少の努力は必要だが、乗り越えられない障壁はない」
「日本はロケットの製造と打ち上げをしており、原子炉の経験もある。したがって、政治的な問題はさておき、もしその気があれば、核兵器搭載の大陸間弾道ミサイルを(短期間で)配備することに問題はないはずだ。必要とされる重要な技術を迅速に開発できないとは考えにくい」
ブリンケン氏とオースティン氏が、「2プラス2」で何を述べたかにかかわらず、2025年1月に誰が米国大統領になろうとも、日本が内密に賭けをしているのではないかと思う人もいる。
事態はその段階に達している。
日本を非難することはできない。そして、それは悪いことではないかもしれない。
怒り狂った独裁国家が核兵器を持っているのなら、もっと多くの民主主義国家も核兵器を持つべきなのかもしれない。
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