【禁聞】 中共政権に合法性はない

2024/10/04
更新: 2024/10/04

1949年に中国共産党(中共)が政権を樹立してから75年が経過した。しかし、この政権の合法性については、国際的にも国内的にも一貫して疑問視されている。過去の中共指導者たちは「経済発展」や「社会的安定」を成果として合法性を主張してきたが、現在の経済低迷の中でその主張はどれほど通用するのか。今回は、米国在住の著名な政治評論家であり学者である呉祚来氏にインタビューを行った。

呉氏は歴史・文化・芸術に精通した学者であり、これまでに多くの著作を編集・執筆してきた。今年も『現代中国政治批判』を出版し、中国の重大な歴史的および政治的問題について評論を行っている。中共政権の合法性に関する彼の最近の論文では、以下の見解を示している。

「中国共産党は1921年に南湖の紅船で会議を開いたが、当時は外国の租界に頼っており、国内では非合法な存在だった。その上層部はコミンテルン(共産主義インターナショナル)に所属しており、いわば外国や国際的な政治組織の支部であった。彼らは中国国内の政権を転覆させることを目的としていた」と呉氏は指摘している。

1931年、中共はソ連とコミンテルンの支援を受けて中国を分裂させ、江西省瑞金に「中華ソビエト共和国」、いわゆる「国中の国」を設立した。この政権とその工農紅軍は本質的に反乱的な性質を持ち、1936年の「西安事件」において蒋介石を拉致し、国民政府の軍隊に吸収されることで一時的に合法性を得た。

1945年に日本が無条件降伏し、日中戦争が終結すると、中国は内戦に突入した。呉氏は次の様に述べた。

「共産党には当時、中華民国政府と共に合法的な政権の一部となる機会があったが双十協定を破り、ソ連の支援を受け、内戦を選んだ。共産党は自分たちのやり方で新たな政治協商組織(政協)を設立し、政協や建国綱領を通じて合法性を再構築しようとした」

共産党は王権神授説を認めていない。延安時代、毛沢東は黄炎培と共に、王朝の興亡を繰り返す周期律から脱却するためには民主的な方法を通じてのみ実現できると考えていた。しかし、建国後は民主主義について一切言及しなくなった。

呉氏はまた、毛沢東時代の合法性についても言及している。

「共産党は1949年に政権を樹立した際、合法性を獲得しようと試み、憲法やいわゆる新民主主義革命を通じ、私有財産や商業、工業の保護を約束することで合法性を再構築しようとした。これらは国民の支持を得るための施策だったが、毛沢東は建国後最初の10年間でこれらの約束を反故にし、憲法の重要性を軽視した。そのため、共産党の合法性は1950年代まで確立されず、毛沢東の死後に鄧小平が中共の合法性を再構築に取り組んだ。改革開放を推進して一部の人々をまず豊かにすることを目指し慎重に試行錯誤しながら前進する姿勢を取ったのである」

「鄧小平の改革開放政策により、経済発展と縁故資本主義(党と関係のある者が有利になる資本主義)が導入された。党の指導下での資本主義を通じて合法性を再構築しようとした。しかし、これは真の合法性ではなく、国家主権は依然として共産党の手中にあり、人民のものではない。主権が共産党の手にある限り、そして鄧小平の『四つの堅持(社会主義路線、人民民主独裁、共産党指導、マルクス・レーニン主義・毛沢東思想の堅持)』が続く限り、真の合法性を再構築することはできない」

呉氏は、市民が真の選挙権を持たない限り、与党には一日たりとも合法性はない。そして、共産党はその合法性をさらに失い続けていると述べている。

「1989年の天安門事件において、学生たちが民主化を求めて抗議運動を行った。しかし、彼は最終的に学生たちに退路を与えず、問題を解決するために武力による弾圧を選んだ。これにより、鄧小平は改革開放後の第一の罪人となり、1989年に改革開放の大きな機会を逃した。もし当時、民意に応じた対応をしていれば、今の中国は異なる状況だったかもしれない。」

「1999年、法輪功の学習者は信仰の自由を求めて中南海で平和的な請願を行った。この出来事は本来、江沢民政権が改革開放を進めるための良い機会となるはずだった。朱鎔基首相はすでに関係者と交渉し、対話を通じて平和的に問題を解決していた。この機会を活かして江沢民は政治改革を進め、10年、20年、あるいは30年の計画を立てることができたはずである。しかし、江沢民は全力を尽くし、国家のすべての資源を動員して法輪功をあらゆる手段で弾圧することを選んだ。その結果、最終的には人道的な災害を引き起こすことになった。この選択により江沢民はさらに10年を無駄にし、改革開放の機会を再び逃した。胡錦濤政権時代も、江沢民が依然として軍権と最高権力を握っていたため、胡錦濤、温家宝政権の10年間も、ほとんど改革が進まなかった」

現在の習近平の時代について、呉祚来氏は習近平が本来は政治改革を進めることができたはずだと指摘する。しかし、彼は「韜光養晦(力を蓄え、表に出さない)」という戦略から、ロシアとの連携やテロ組織との連携を重視し、米国との間で勢力範囲を再分割しようと試み、毛沢東時代の西側世界との闘争状態に戻ろうとしている。これにより、習近平は再び改革の機会を逃しており、現在、習近平に残された時間は限られてきていると、呉祚来氏は警告している。

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