豪州の「多文化主義」は崩壊し始めている=豪独立研究センタ(CIS)

2024/10/25
更新: 2024/10/25

オーストラリアのシンクタンク、独立研究センター(CIS)の報告書は、昨年10月7日のハマスによるイスラエル侵攻とそれに続く抗議活動が「政治的分裂と極化」を引き起こし、多文化共存の基盤を揺るがしていると指摘し、文化的対立を煽る現状に警鐘を鳴らす。

報告書によると、オーストラリアの多文化主義は、法律を守る限り、文化的・宗教的な信念を自由に追求できるという社会的合意に基づいてきたが、ハマスの侵攻以降、深刻な脅威に直面している。

社会的結束や寛容の精神を促進するどころか、多文化主義はむしろ文化的分離を助長し、コミュニティ内の対立を煽る結果になっているようだ」

ファティマ・ペイマン上院議員が7月4日、与党労働党を離党した。その後、 パレスチナ解放を目指すイスラム教徒の勢力「ムスリム・ボート」の設立を発表した。イスラム教の聖職者がこれを「アッラーへの侮辱」と非難した。さらにオーストラリア議会のイスラム教徒議員を「背教者」と表現し、彼らはシャリーア法をオーストラリアの支配的な法体系として定着させるために、異なる形の権力を求めていると指摘した。

CISの文化・繁栄・市民社会プログラム責任者ピーター・カーティ氏は、「このような発言は、オーストラリアの政治的、法的、社会的規範に対する公然たる挑戦である。オーストラリアの多文化主義の基盤である社会的合意の存続可能性を脅かしている」と述べた。

多様性への寛容は、オーストラリアの法と秩序へのコミットメントに基づいてのみ成立する。これは、海外の紛争が国内の街、公園、キャンパスに持ち込まれることを防ぐことも含まれるが、現実にはまさにそのような状況が起きている」

多様性が紛争を煽るために利用されている

カーティ氏によれば、多文化主義と多様性の推進がもともとオーストラリア建国以来の「白人中心主義」の是正を意図していた。

「現在では、多様性がオーストラリアの規範と対立する要素を攻撃するだけでなく、民族コミュニティ間の対立を煽る手段としても利用されている」と指摘した。

過去約60年間、多文化主義は概ね成功してきたから、「ほとんどの人がそれを国にとって良いことだと考え、継続を望んでいる」と述べた。

しかし、オーストラリアで14日に行われた国民投票では、先住民諮問委員会「Voice to Parliament(ボイス)」の設置を目的とする憲法改正案が審議され、賛成39%、反対61%で否決された。

カーティ氏は、この否決は「多様性に対する国民の熱意が衰えている」ことを示唆しており、オーストラリアに「ポスト多文化主義」の時代が訪れつつあるかもしれないと述べた。

ポスト多文化主義とは、異文化共存を単純に受け入れるのではなく、共通の社会的価値観やルールを重視しながら、社会的結束の再構築を模索する動き。

これに対応するために、現政権の政治指導者たちは十分な準備ができていないとし、「危ないことに、我々が頼るべき指導者たちが、責任の共有と相互寛容の義務を履行する上で政府が果たさなければならない重要な役割を理解していない。そうなると、多文化主義は自身が引き起こした問題によって衰退してしまう危険性がある」と警告した。

メルボルン大学のロバート・メンジーズ研究所のダミアン・フリーマン研究員は、「多様性だけでは社会的結束は達成できないが」、ますます多様化する国では「同一性だけでも結束は生まれない」という認識を示した。

「より多様化した社会では共有される価値が少なくなるが、社会的結束を生み出す新しい可能性に目を向ける必要がある。統一性、同一性と共通の価値にこだわりすぎると、他の可能性が見えなくなる恐れがある」としている。

社会的結束の促進に政府の介入は不要

現代オーストラリアにおける社会的結束の促進は、国家のリソースではなく、社会の力を使って実現すべきだとフリーマン氏は主張している。

その一つの方法として彼が提唱するのは「トーリー主義」である。

同氏は「私たちは家庭などの小さな組織に属し、それを通じて国などのより大きな組織とつながっているという考えだ。これは、共通のアイデンティティに基づいて選択的に所属するグループではなく、私たちが自然に属する組織である」と説明した。

「こうした帰属意識の絆を強めることで、自分の社会に対する帰属感が社会的結束を支えることになるだろう」。

宗教・倫理・社会センターのディレクターであるジョナサン・コール氏は、政府の介入がほとんどない「文化的自由市場」を提案している。

「政府が文化や多様性の問題に介入する目的、あるいは目的ではないにしてもその結果として、政府は本来なら生き残ることが難しい言語、習慣、宗教的信念や慣習を補助している」と指摘している。こうした補助は「社会生活の自然な運営に対する国家(の介入)の影響力と範囲の拡大を示すもう一つの例となる」と述べた。

政府の介入がなければ、人々は自分たちの文化や宗教的な慣習を守り、子供たちに伝える自由を持ち続けるだろう。

ただし、「それには政府の財政的支援、つまり税金による補助を受けることはできなくなる」。

政府が果たすべき唯一の役割は、政治的・宗教的な動機による暴力から社会的結束を守るための刑法の制定と施行、および、差別的な採用・解雇を含む偏見の影響から人々を保護するための差別禁止法の制定と施行である。

しかし、コール氏は、移民の長期的な結果は必然的に「同化」であると主張している。

「それは何千年も前からそうであり、オーストラリアを含む地球上のどこでも今もそうである」。

オーストラリア・カトリック大学の社会学教授で、ニューヨーク市立大学の名誉教授であるブライアン・ターナー氏は、多文化主義はポピュリズムと向き合う必要があると述べている。オーストラリアにおけるポピュリズムは、ヨーロッパよりもアメリカに近い形態だという。

同氏は「ポピュリズムが発生している国々の共通点は、出生率が低くて減少傾向にあり、労働市場が移民に依存している点だ。労働市場が外国人労働者を受け入れていた時期には、多様性への恐怖はポピュリストたちを悩ませなかった」と述べた。

「しかし、社会が高い出生率を持つとされる移民に依存しているように見えると、ポピュリズムが台頭する。それは、多様性(人種、性別、年齢、宗教、価値観、障がいの有無など、さまざまな属性の人々が組織や団体の中で共存している状態を指す)や包摂性(多様な個人が職場で価値を認められ、参加しやすい環境を作ることを指す)に対するリベラルな価値観への挑戦を意味する」と続けた

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。