新年を迎えるにあたり、過去を振り返ると、疫病は未だ収束せず、天災が相次ぎ、奇異な現象が頻発しています。人々は不安と恐れの中で、行き場を失ったかのように感じています。しかし、古人はこう言いました、「天は人を警める意図を持ち、人は天を敬う責任がある」と。
災難や異象に直面した際、古代の聖君たちは、神を敬い、自らの過ちを悔い改め、内面的な徳を修めるという知恵をもって、国と民を劫難から導き出しました。この教訓は後世に深い啓示を残しています。
今、新年の曙光を迎えるために、中原神州の古代の歴史から希望を見いだし、共に歩み出しましょう。
天災と異象は天の警告
古代の人々は、天災を「天人感応」、つまり天が人間の徳の堕落に警告を発するものだと考えていました。帝王は天下の模範として、国を治め、民を教化する責任を担っています。しかし、もし帝王が徳を欠き、その姿勢が民にも影響を与えて風紀が乱れると、天災が起こるとされていました。これは、帝王に自らを省みさせ、人類に道徳を正すよう促すための警告であり、それに応じなければ、より大きな罰が降りかかると信じられていたのです。
そのため、古代の帝王は官制に「太史令」や「司天監」、「欽天監」などの職を設け、天象の観測を担当させました。彼らは天命や天意を理解し、帝王に政治の得失を知らせる役割を担っていました。異象が現れ災害が降りかかると、歴代の聖君や賢王たちはすぐさま自らを省み、敬虔に天を敬い祈り、身を正し、過ちを悔い、罪を自らに帰す詔書を発し、不当な政策や悪法を改めることで、天災を和らげたり、解消したりして、国家を再び平穏と安寧へ導いたのです。
孔子はこれを重視し、「政は正なり。 子、帥(ひき)いるに、正を以ってせば、孰(たれ)か敢えて正しからざらんや」と説きました。これは、「治国とは人々の心を正し、道徳を正すことを要(かなめ)とするものであり、天子が自身を正し模範を示せば、民がそれに背くことなどあり得ない」という意味です。孔子は、こうした在り方によってこそ、政治が清らかで民が和やかになり、天災を免れ、天下が安寧に至ると理解していました。
ここでは、聖王が天災に遭遇し、自らを省みて災害を鎮めた幾つかの典型的な例を振り返ってみましょう。
天に祈り恵みの雨が降る
災害が発生した際、歴代の英明な君主たちは「罪己詔(自身の過ちを認める詔)」を発表し、天に対して懺悔し、自らの政治の過ちを省みて是正しようとしました。歴史上、最初に「罪己詔」を行った古代の帝王は夏の禹と商の湯王であり、特に商の湯王は後世に最も広く知られています。
記録によると、商朝の初期に数年間も大干ばつが続き、五穀が実らない状況が続きました。商湯は天に祈って雨を求めるため、桑林の野に赴き、真摯に跪いて祈りを捧げました。彼は自らの命を差し出してでも民の生存を守りたいと願い、上天に向かい六つの過ちを挙げて自責しました。
「私の政治が無秩序であったからか、あるいは臣下たちが職務を全うできなかったからか。私の宮廷生活が贅沢に流れ、腐敗していたからか。後宮の者たちが権力を乱用して政治を乱したからか。役人たちの規律が緩く、賄賂が横行したからか。それとも私が讒言を信じ、小人物に権勢を与えたからなのか?」
商湯が言葉を最後まで言い終える前に、周囲数千里にわたって大雨が降り注ぎました。この出来事は歴史上非常に有名な「罪己詔」として記録され、後世の帝王たちに何千年もの間、模範を示しました。これ以降、帝王や臣民は天災や異変を目にするたびに、自らを振り返り省みるようになったのです。
唐太宗の自己修養と内省がもたらした太平の世
『旧唐書』によると、唐太宗は貞観元年(627年)4月と貞観10年(636年)に、それぞれ詔を発し、全国の州や県に義倉(貧困者救済のための備蓄倉庫)を設置するよう命じました。また、関内や河東地方で病に苦しむ民に医薬を配布するよう指示し、さらに天災が発生した際には、自らの行いを反省しました。
貞観12年(638年)の冬から貞観13年(639年)の5月にかけて雨が一切降らない干ばつが発生しました。唐太宗は、このような天災は自身の徳が不足していることが原因だと考えました。そのため、正殿を離れて別の場所に移り、五品(位階)以上の官員に自分の過失を指摘する上奏を求めました。また、自らの食事を減らし、労役を免除し、使者を派遣して貧民を救済し、冤罪を訴える者の訴えを正しました。このような自己反省を伴う善政の結果、雨が降り、干ばつは収束しました。
貞観15年(641年)6月、唐太宗は泰山で封禅(天への祈りと報告の儀式)を行う計画を立てました。しかし、その月に星象異変が発生したため、唐太宗はすぐに自身の行いを省み、封禅の計画を中止しました。そして再び正殿を離れ、別の場所で過ちがなかったかを反省し、食事の量を減らすよう命じました。
唐太宗は徳を重んじ、善行を行い、大臣や民衆の批判を勇気を持って受け入れました。また、天災に見舞われると、自らの不足を反省し、民を慈しむ政策を実行しました。こうして、唐太宗が即位してわずか4年後の貞観4年(630年)には、夜間に戸締まりをしなくても安全な太平の世が実現したと『旧唐書』には記されています。
清の康熙帝と華北大地震
『清史稿・聖祖本紀』によると、清朝の康熙帝は、康乾盛世(清朝の最盛期)を築いた偉大な君主でした。1695年、山西省平陽で大地震が発生した際、康熙帝はすぐに「罪己詔」を発し、「朕は徳を修めることが足りず、天地が警告を示されたのだ」と述べました。
康熙帝は災害地を自ら視察し、備蓄米を開放して被災者を救済し、道教や仏教の儀式を通じて民衆のために真摯に祈りを捧げました。また、税制を簡素化して民衆の負担を軽減するなどの施策を講じ、速やかに被災地の復興を主導しました。
晩年の康熙帝は子孫にこう教えました。
「私は幼い頃から皇帝に即位し、すでに60年以上が経過している。その間、地震や洪水、干ばつに見舞われることもあったが、そのたびに自身を深く省みて戒めとし、これにより災害も速やかに収束した。天が異変や災害を示す時、慌てる必要はない。ただ己を振り返り、省みて過ちを改めれば、災いは自然と福となる。『尚書』にこうある。『善道に従えば吉、悪道に従えば凶。影が形に伴い、響きが音に応じるようなものだ』。これは自然の理である」
これらの帝王たちが不朽の盛世を築いたのは、天の警告を無視せず、自ら進んで天下に謝罪し、自身の失徳が災害を招いたことを認め、真心を込めて過ちを改めたからです。その結果、神仏から許しを得て天下泰平がもたらされました。
中国では古来、「君権神授」(君主の権威は神に授けられたもの)という考え方がありますが、これは傲慢になることを戒めるものです。君主の地位は神から授けられたものであり、天に代わって万民を治める責任を負っているとの自覚が求められるのです。そのため、天地や神明を敬い、神の目が自身と人類の一挙手一投足を監視していることを深く信じ、国政に怠ることなく取り組みました。天象や天災を神からの無言の警告・教訓と見なし、決して傲慢にならず、独裁的な振る舞いをしなかったのです。
民間 張道陵と符水による疫病治療の秘訣
聖王たちが代々言行を通じて教えを広めたことで、過ちを改め罪を悔いることで災難を和らげるという伝統的な思想が民間に深く浸透しました。これにより、民間の聖賢たちも敬天悔過(天を敬い罪を悔いる)という方法で、人々が直面する疫病の災難を解決してきました。
後漢末期、道教の宗祖である張道陵は四川省の鶴鳴山で人々を教化しました。疫病が流行した際、彼は民衆に自らの過ちを書き記し、その悔罪文を水に投じて再び同じ過ちを犯さないと誓わせ、符水を飲ませて病を祓いました。その結果、多くの人々が健康を取り戻したとされています。
実際、疫病が消えた鍵は符水そのものではなく、真心からの反省により、神仏の赦しを得ることにあったのです。そうでなければ、民衆に過ちを書き記させる必要はなかったでしょう。罪を悔い改めず、過ちを直さずに、条件なく災難を解除しようとするのは、そもそも天災が下された本来の意図に反する行いではないでしょうか。(『道教源流考』より)
徳行を再建すれば、天の助けを受ける
歴史を振り返ると、帝王であれ民衆であれ、「敬天悔過」(天を敬い過ちを悔い改める)、善行を実践し道徳を再建することで災難を乗り越えてきたことがわかります。新しい年を迎える今、私たちはこのような歴史から深く目覚めるべきです。今日、数多くの災難が次々と押し寄せ、人類はかつてない天の警告に直面しています。このような状況で、私たちは自らに問いかけなければなりません。現代社会では、物欲が横行し、人間性が極めて利己的になり、天地や神々に対する畏敬の念を完全に失ってしまったのではないでしょうか。
特に、公然と神仏を冒涜し、神仏の信者を迫害し、無神論を広める中国共産党という邪悪な存在と結託し、その利益の罠にはまり、買収され利用されるだけでなく、海外で神州の伝統文化を広める神韻芸術団への攻撃に加担する、さらに、法輪功の信者を迫害し、その臓器を強制摘出するという罪業に対して沈黙を保ち、その邪悪な触手が世界に伸び続けることを許すのなら、それは人類全体を滅ぼす行為に他なりません。どうしてこれが天の怒りを招かず、厳しい警告や次々と降りかかる天災、異変を引き起こさないでしょうか。今は非常に危急な時期であり、これは神仏からの警告であると同時に、慈悲の呼びかけでもあります。「早急にこの邪悪な霊から離れ、神を敬い徳を重んじる伝統に戻れ」というメッセージです。
「神が人を目覚めさせたいのなら、なぜ直接現れて道理を説かないのか? そうしなければ、人類はどうして天災や異変が神の警告だと信じることができるのか?」と思う人もいるでしょう。
法輪功創始者の李洪志先生は、「人類はなぜ迷いの社会なのか」というテーマで、すべての人にその天機を明かされています。そこでは次のように述べられています。
『ですから人類は、最も智慧の小さくて物事の本質を知ることのできない「迷いの中」で生きています。これは末後、滅し尽くされる前に衆生が救われるようにするために創世主が成し遂げた壮挙であり、衆生が無明(むみょう)の苦しい世で人間性の善にたよって乗り越えるようにするためでもあります。難しいのですが、成、住、壊、滅の最後に、滅されるはずの生命は苦を舐め業を滅する中で乗り越えるしかなく、同時に、善良な本性を守りぬいてはじめて「未来」に認められるのです』
ここから私たちは一つのことを理解するべきです。旧宇宙が滅亡の末期に差し掛かった中、創世主は人類が救われるために「迷いの社会」という状態を作られました。それは、人々が真実を見られず、苦しみの中で天の警告や教えを信じられるかどうかを試すためです。過ちを悔い改め、善行を実践できる人のみが善良さを守り、神仏に認められて救済され、未来と希望を手に入れることができます。
どのような立場にあっても、私たちは古人の教訓を鑑(かがみ)とし、迷いの中で天地神仏への畏敬の念を忘れず、天象の警告に耳を傾け、正しい信念を呼び覚まし、自らを修正し、伝統に立ち返ることで、災厄を乗り越え、共に光明の未来へ向かいましょう!
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