アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は就任以来、一連の経済改革を実施してきた。その核心は、共産主義的な経済モデルを脱却し、市場経済化、自由化、私有化を推進することにある。2024年には、消費や投資が増加し、農業や鉱業の輸出が引き続き力強い成長を見せている。
ミレイ政権の経済実績
ミレイ氏がアルゼンチン大統領に就任して1年、同政権の成果は顕著だ。2024年第3四半期にはGDPが前期比3.9%増加し、長らく続いた経済危機が緩和されつつある。消費や投資の増加が続く中、農業・鉱業の輸出も引き続き好調である。JPモルガンは、アルゼンチン経済が2025年には5.2%成長すると予測している。
興味深い事に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの株式市場も活況を呈しており、2024年には世界で最も好調な市場となった。S&Pメルバル指数は160%以上の上昇を記録し、他の先進国や新興国の株式指数を大きく上回った。さらに、アルゼンチン国債の価格も大幅に上昇し、外貨建て債券の総リターンは約90%に達している。
インフレも劇的に抑制された。2023年末に年率211.4%だったインフレ率が、2024年11月と12月には月間インフレ率は2.4%と2.7%まで低下。アルゼンチン中央銀行によると、2025年のインフレ率は25.9%まで低下し、公共サービスの価格も大幅に下がる見込みだ。
財政状況も改善し、2024年の最初の11か月間で財政黒字は71億4100万ドル(約1兆1164億円)を記録した。これは、長年の財政赤字からの脱却を示している。
外貨準備の増加と投資家信頼の回復
農業や鉱業輸出の増加により、外貨準備が回復。ミレイ政権発足時、外貨準備は深刻な不足状態だったが、2024年11月末時点で309億ドルに達した。フィッチ・レーティングスはアルゼンチンの格付けを2段階引き上げ「CCC」とした。同機関は格付けの理由について、アルゼンチン政府が今後の外貨建て債券の支払いを債務再編や救済を求めることなく履行できる可能性が高まったと判断したと説明した。
また、投資家の信頼が回復する中、アルゼンチン政府は銀行預金への特赦プランを活用し、約200億ドルの資金を国内に呼び戻すことに成功した。治安面でも改善が見られ、殺人事件の発生率は63%減少した。
ミレイ大統領は、その大胆な改革を通じて「アルゼンチンの経済奇跡」を実現したと言えるだろう。
ミレイ大統領の改革内容
自由主義経済学の専門家であるミレイ氏は、就任以来、アルゼンチンを共産主義的な経済モデルから市場経済化、自由化、私有化へと大きく転換する一連の改革を推進している。
ミレイ政権の最も重要な取り組みの一つは、「ペロン主義」の撤廃である。ペロン主義は、中国共産党(中共)と歴史的なつながりを持ち、ペロン自身はナチスや中共の影響を受け、毛沢東と友好関係を築き書簡のやりとりを行っていたと言われる。ペロン主義は、政治的には中央集権化、経済的には国有化を進める共産主義的な政策とみなされてきた。
ミレイ氏は就任後、大規模な行政改革を実行した。中央政府の省庁を22から8に削減し、5万人の公務員を解雇。これにより、政府支出を大幅に削減した。また、税制改革にも着手し、2025年までに現在の国税の90%を廃止し、6種類の税目のみを残す計画を発表した。この大規模な減税措置は、経済の活性化を目的としている。
さらに、ミレイ政権は国有企業の民営化、輸出の自由化、採掘業などの独占的な分野の規制緩和を進め、経済の自由化を実現した。また、通貨と資本の管理を終了し、自由市場への転換を加速させた。
世界銀行が発表した「グローバル・ガバナンス指標」によれば、2024年のアルゼンチンは「規制の質」「腐敗の抑制」「法制度」などの面で著しい改善を見せた。これらの指標は、ミレイ政権による政策が実質的な成果を上げていることを示している。
歴史的視点 共産主義が富裕国を貧困に陥れる
1946年のペロン政権以前、アルゼンチンは市場経済を基盤とし、世界で最も裕福な国の一つだった。20世紀前半、アルゼンチンは豊かな物資資源を持ち、「世界の穀倉」として知られ、裕福さの代名詞でもあった。当時、ヨーロッパでは「アルゼンチン人のように裕福」という表現が使われ、移民先としてもアメリカと並ぶ選択肢とされていた。
しかし、1946年にペロンが就任すると、アルゼンチンの経済は一変した。経済は完全に国有化され、中央集権的経済政策が打ち出された。結果として、わずか10年で経済的繁栄は失われ、アルゼンチンは深刻な貧困に陥った。その後、アルゼンチンが世界に誇れるものは、サッカー界の英雄であるマラドーナやメッシ、そしてアルゼンチンサッカーだけになったとさえ言われた。
しかし、ミレイ大統領の改革により、アルゼンチンは再び市場経済に回帰し、かつての繁栄を取り戻す兆しを見せている。
アジア最富裕国から最貧国へ ミャンマーの悲劇
一方で、かつてアジアで最も裕福だった国、ミャンマー(ビルマ)も同様の運命をたどった。1936年、ミャンマーのGDPは121億9700万ドルに達し、一人当たり年収は776ドルと、当時の日本を大きく上回っていた。ミャンマーはアジア随一の豊かな国として、その繁栄を謳歌していた。
しかし、1962年にネ・ウィン陸軍参謀長がクーデターを起こし、軍事政権が成立。選挙制度が廃止され、経済は国有化されると、ミャンマーは長期的な経済停滞に突入した。1977年には国際援助を必要とするほど困窮し、かつて世界最大の米輸出国であったミャンマーが、援助物資として米を必要とする状況に陥った。この事実は、同国の衰退を象徴している。
1980年代後半にはミャンマーは世界最貧国の一つとなり、1987年には国連によって最も開発が遅れた国と認定された。この転落の背景には、中央集権的な統治や国有化政策による非効率性が大きく影響している。
また、近年のミャンマーでは、詐欺や臓器摘出などの犯罪が問題となっており、その一部には中国共産党の関与が指摘されている。
政治体制の重要性
2024年、ノーベル経済学賞が3人のアメリカ人学者に共同授与された。彼らは「社会制度の形成と繁栄への影響」に関する研究を通じて、国家間の繁栄の違いを生み出す原因を解明した。この研究は、国家の繁栄における制度の重要性を証明したものとして高く評価されている。
研究によると、健全な社会制度が経済成長と社会進歩の鍵である。一方で、法の支配が弱く、民主主義が奪われた社会では、成長や発展が期待できないことが示された。
簡単に言えば、既存の民主主義国家体制が共産主義国家よりも優れているということは、明らかだ。例えば、韓国と北朝鮮の対照的な経済発展は、民主主義と共産主義の違いを如実に示している。また、ソ連崩壊後、東欧諸国の経済が顕著に改善したことや、豊富な石油資源を持ちながら社会主義政策の失敗で南米最貧国となったベネズエラも、制度の重要性を証明している。
2024年、アルゼンチンの経済的奇跡は、民主主義と自由市場経済が社会の繁栄と安定をもたらす例として注目された。一方、ペロン時代のアルゼンチン、ミャンマー、北朝鮮、ベネズエラの例は、共産主義的な制度がいかに貧困と混乱を招くかを裏付けている。
中国の「ミレイ」は現れるのか?
2000年以前、中国の社会主義経済は崩壊の危機に瀕していたが、その後、西側諸国が市場を開放し、巨額の資本や技術を注ぎ込んだ結果、中国は急速に世界第2位の経済大国に成長した。しかし近年、西側諸国は中共の脅威を認識し、資本や技術、さらには市場の依存を減らす動きを強めている。
現在、中国経済は大幅な衰退に直面している。新型コロナウイルスの影響で多くの人が死亡した後、国民の富は急激に減少し、失業率は急増。社会不安が広がる中、民間経済の縮小や外資の撤退が進んでいる。一方で、膨張を続ける官僚機構と国有企業、地方政府の膨大な債務は、中国経済を圧迫する「重荷」となっている。
しかし、中国にはまだ希望がある。もし中国国民がアルゼンチン人のように、自由民主主義の政府を選び、経済の私有化・自由化を進め、政府の規制を解除し、大幅な行政改革を行えば、中国経済も光明を見出すことができるだろう。
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