【閲覧注意】本記事には、残虐な映像や画像があります。
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最近、中国国内の小学校では、無邪気な子どもたちの声が響く校門前が「社会報復の舞台」と選ばれることが多い。校門前は今や監視台や幾重もの暴走車防止バリケードが設置された重々しい「危険地帯」と化している。
社会報復を目的とする犯人は、なぜ社会への鬱屈を晴らす方法として、無抵抗の子どもたちとその保護者を狙うのか。
「最も無防備で守るべき存在を標的にすることで、社会全体に対する衝撃や影響力を最大化しようとする心理が働いている」と専門家は言う。

放課後の校門前
4月22日、午後5時45分ごろ、浙江省金華市の蘇孟小学校の門前で、放課後に集まる児童や保護者をハイスピードで無差別に轢く事件が起きた。
現場映像などから死傷者は、十数人程度と思われたが、正確な死傷者数は不明で、現在のところ現地当局による発表は無い。
「明確な意図を持った攻撃であった可能性が高い」とされるこの事件、SNSでは「真相はどうせまた闇に葬られるだけ」「運転手急病や操作ミスによる交通事故で、また片付けられるだろう」といったあきらめの声がすでに広がっている。
車両は猛スピードで群衆目掛けて突っ込んだため、「社会報復だ」と考える人は多く、事件をめぐり、ネット上では「子どもに罪はない。恨みあるなら政府に立ち向かえ。ここを出て左へ曲がれば政府だ」のコメントが目立った。
このセリフは、無関係な市民が巻き込まれる社会報復事件などのトピックスに、コメントとして、必ずと言っていいほど、寄せられるものだ。「政府に立ち向かえ」という言葉は、今の混乱した時代に生きる人たちの本音を表している。
(現場の様子)
終わらない「社会報復」
中国では、個人的な不満や社会的鬱屈を無関係な他者にぶつける「社会報復」の風潮がひどい。
なぜこれほどまでに社会報復が中国で繰り返されるのか?
その根源にあるのは、自由も救済も封じる中国共産党体制と断言してもいいだろう。市民は不当な仕打ちを受けても訴える手段はなく、希望すら見えない。
現在の中国にあるものは、労働環境や経済の悪化、教育や医療の格差、都市と農村の貧富の差等々──さらに、腐敗しきった官僚機構と、本来ならば正義の味方であるはずの警察による抑圧だ。告発することさえ命がけといった状況の中で、人々の怒りと絶望は内側で静かに膨張していった。

本来、国家が国民に与えるべきは「正義」や「救済」である。だが中国では、それらの制度が機能不全に陥り、人々は最後に、自らの手で「制裁」を下すしかないという歪んだ思想に追い込まれていた。
無関係な子どもたちを犠牲にしてまで、社会に報復しようとする狂気だ。怒りの根をたどれば、そこには必ず人間の尊厳を奪い続けてきた共産党独裁体制の罪が横たわっている。

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