亡き母は、一言でいうと、「教育マニア」であった。次姉が東京の大学に2校合格して、地方誌の合格欄に名前が載った時の母のうれしそうな輝いた顔は鮮明に覚えている。
戦争で苦労し、生家は没落、父も軍人だったため捕虜になり大変な苦労をした。一夜にしてお金は価値を失った。そして人間が身に着けるべき価値は、何か。それは「教育」であるという考えに至るのだ。身に着けた知恵や技術は奪うことが出来ないが持論だった。
中国では寛容と我慢が、一種の伝統的な美徳として称賛されてきました。孔子は「薄責于人、則遠怨矣」と語りました。曰く、他人を責めないで、理解と寛容の気持ちで接することができれば、自分も悩むことなく、穏やかな心情を保つことができるという意味です。
宋の時代に、ある人が一つの宝石を手にいれます。彼はこれを斉の大夫・子罕(しかん)に献上しようとしましたが、子罕はこれを受け取りませんでした。「この玉は宝石の専門家に鑑定してもらった本物の宝石です。あなた様に献上したいのです」といいます。それに対して子罕は、「私は貪りを宝としません。あなたは宝石を宝としているので、もし宝石を私にくれたら、私たちは二人とも、自分の宝を失うことになります。それならやはり各自で宝を保管したほうがいいでしょう」と答え、宝石を受け取りませんでした。
進化論は主に経典的証拠・比較解剖学、古生物学、胚胎発育再演律の三つを有しています。しかし、近年の研究によって、その証拠は次々と崩れてしまったのです。