チンギス・カンの3男、オゴデイの養子である楊惟中は知略に長け、二十歳にして西域30以上の国々に赴き、政令・條格の布告、人口調査による戸口の登録など、現地の統治体制を整え、大きな功績を収めました。この他にも、楊惟中は活版印刷伝播の重要な功臣でもあったのです。
舎利とは何でしょうか?仏教の文献によると、入滅した釈迦牟尼仏が荼毘(だび)に付された後、その骨灰の中から見つかったキラキラ輝く非常に硬い丸い物体が舎利だといいます。従来、舎利は仏教の珍宝とされ、入寂した高僧が荼毘に付された後にしか現れません。
「敦煌莫高窟」(とんこう ばっこうくつ)、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つです。現存する石窟の中では世界一大きな規模であり、完全に保存された仏教芸術の宝庫といえます。
目犍連(もくけんれん)は、釈迦仏の十大弟子に列せられており、修煉過程の中で優れた神通力を持っています。今日は目犍連に関する伝説をお話ししようと思います。釈迦仏は教えを説き伝えているとき、人間の空間にある弟子だけでなく、他の空間において、多くの生命が聞いていました。仏陀が説法している際、声が次元を越えて、一定範囲内の宇宙空間において、全ての生命が聞こえます。
幼い頃からシッダールタ王子は、周りとは異なる考え方を持っていました。王子は農夫に掘られ、鳥につつかれるミミズを見て、生き物の残酷さを嘆き、しばしば、「この世は皆、苦しんでいる」と悩み、考え込んでしまいました。
2022/03/17
今から2500年以上前の古代インド、現在のネパール領土内に、カピラヴァストゥ(カピラ城)という国がありました。王様は釈迦族で、姓はゴータマ、名はシュッドーダナ(純米の意)であるため、浄飯王とも言われました。
2022/03/15
寝室は明日への英気を養う大切な場所です。風水学では、寝室の環境がその人の運勢に大きな影響を与えると言われており、これから風水師が挙げた、寝室の運気を上げるために留意すべき4つのポイントをご紹介します
2022/02/18
釈迦牟尼仏の時代に、大愛道という尼僧がいました。 ある時、大愛道は釈迦牟尼仏のところに来て、五體投地(地面にうつ伏せになり礼拝する最高の礼拝手法)をした後、「師尊(直下の弟子の師に対する呼び方)が、私たち弟子や衆生を末永く救済してくださることを願っていますので、師尊の肉体のお体(この世の身体)を大切にして、永遠に生きられますようにお願い申し上げます」と言いました。
2021/10/01
釈迦牟尼仏の時代に、とても醜い弟子がいました。修行に励んでいましたが、その容姿が見苦しかったため、他の弟子たちからは、常に軽蔑されていました。ある日この醜い弟子は、仏法を聞くために、釈迦牟尼仏のところに行きました。
2021/09/23
釈迦牟尼佛がいた時代に、目犍連(もくけんれん)と呼ばれる釈迦牟尼佛の弟子がいました。目犍連の身に多くの神通力が現れたため、修行僧の間ではとくに有名でした。しかし、彼は神通力が現れたことを誇りに思わず、修行において現れた様々な神通力を、すべてその師父である釈迦牟尼佛のおかげとしました。
2021/09/05
中国はかねてアフガニスタンに関心を寄せている。「鉱物資源へのアクセス、(中国の)同盟国であるパキスタンがインドによる包囲回避、そして中国自身に対するイスラム過激派の脅威の削減」が狙いであるという。ケネス・カズマン氏ら研究者は2017年、米連邦議会調査局で発表した論文で指摘している。
2021/08/30
ある日、釈迦牟尼佛は王都の竹林に座っていた。
鉢巻を捧げに出かけた弟子たちは、一人一人が堂々として心安らかに修道院に戻ってきた。
佛陀は金剛杵を結び、優しく語りかけました
2021/08/17
釈迦牟尼仏は、涅槃に近づいた頃、マーラ王国のドゥシャナという街にやってきた。 都会の中の沙羅の森にたどり着いた彼は、それ以上進むことができず、2本の木の間にある森で涅槃に入ることを選んだ。
2021/08/10
中国清代の学者紀昀(きいん)が著した文語体短編奇談集「閲微草堂筆記」の中で、雨の夜に幽霊のような囚人に出会った通行人のことが書かれていますが、二人の幽霊の囚人の告白は示唆に富んだものでした。
2021/07/20
今から2500年前、釈迦牟尼がインドで仏教を広めていたとき、老子と孔子が中国で伝道していました。『史記』によると、孔子は老子に何度も助言を求めていたと記しています。
2021/07/02
中国には、仏教や道教の神々を祀った寺院が数多くあり、他の神々を祀った寺院もたくさんあります。その中には、孔子を祀った「孔子廟」があります。貴州省南部に謇(ジアン)という名の将校がいて、彼の家は孔子廟の隣にあります。何年もの間、謇将校は、食事をするたびに、必ず食事を少し分けて孔子にお供えしていました
2021/06/13
生きる苦しみに耐えられず、絶えず自殺する人がいます。人は死んで本当に終わりなのでしょうか?東西洋の伝説や古典では自殺について考え方が同じで、自殺した人は罪を償うために死後も生前の何倍も苦しむと見ています。
2020/05/18
清朝の時代、偉大な慈善家として尊敬を受けた人物がいた。彼の名は向従楷(向世楷)といい、「向仁公」という愛称を持つ。
2020/05/07
五台山(ごだいさん)は、中国山西省東北部の五台県にある標高3058メートルの山脈で、主に五つの峰から構成される。総面積は2837平方キロメートルに達し、山頂は平坦に広がる。まるで人工的に建造された土台のような形をしていることから、五台山という名前が付けられた。
2020/04/15
仏教の世界には、厳しい修行を積み、自分をミイラ化する「即身仏」が存在する。死後数十年、あるいは数百年経っているのに身体が滅びず、生き仏として人々から祀られている。特殊な加工をしていないにもかかわらず、身体が滅びないのはなぜか。科学者たちがある僧侶の即身仏を分析した。
2020/03/28
中共の「鎮反」運動(反革命鎮圧運動)が全面的に展開される中、100歳を超えた虚雲和尚も免れることはできなかった。彼は「反革命」のレッテルを張られ、残酷な迫害を受けた。大紀元社説『共産党についての九つの論評』(第六章)によれば、1952年、大陸で「中国仏教協会」が立ち上げられ、中共は発足式に数多くの党員を参加させた。式では、「仏教の戒律は多くの若者を死に至らしめた」と主張し、さらに「信仰の自由、僧侶や尼僧は結婚し、酒、肉を食することも自由にし、誰も制限してはならない」と戒律の廃止を求めた。
2020/03/27
120歳で逝去した虚雲禅師(きょうん ぜんし。1840年9月5日~1959年10月13日)は、近代中国第一の高僧として知られている。生前、中国の仏教界では声望が高く、数多くの弟子がいた。かつては蒋介石から大事な客として迎え入れられたことがあり、第二次世界大戦の終結を予告していたという。一方、彼は生涯にわたり、中国共産党の党首だった毛沢東との面会を拒み続けたと伝えられている。
2020/03/27
仏教僧たちが起こした奇跡については多くの物語が残されており、それらを読むことで、私たちは不思議な世界を知ることができます。私は以前から考えていました―彼らの崇高な心はいかにして生まれたのでしょうか?僧たちはどのようにしてそれを身に着けたのでしょうか?次に紹介する物語は、私たちにそのヒントを与えてくれるかもしれません。
2020/03/12
10月中旬、中国習近平主席が南アジア諸国を訪問した。チベット亡命者を多数受け入れるネパールでは、習氏の滞在期間中に、両国の容疑者の引き渡し条約を締結する予定だとみられていが、チベット政府は合意を見送った。
2019/10/21
仏リヨンのサッカースタジアムで9月28日、リーグアン(一部リーグ)8日目、オリンピック・リヨン対FCナントの試合が行われた。リヨンのファンはスタンドで、チベットの旗の巨大な図柄を作ったり、旗を振ったりした。中国官製メディアの中継放送時間に合わせて、試合時間が不規則に変更されたことに対する抗議だという。
2019/10/02
奈良時代、河內国に利荊女という人がいました。彼女は幼い頃から心身が清らかで、悟性が高く、仏法を尊ぶ心を持っていました。彼女はいつも家で仏経を誦しましたが、行き来する人たちはみんな彼女の読経を聞くのを楽しんでいました。
2019/09/02
遠い昔、大和国に転乗という僧侶がいました。彼は気が荒くて、常に怒っていました。転乗は小さい頃から仏経を読むのが好きで、毎日仏経を読むのを楽しんでいました。
2019/09/02
昔、近江国にお坊さんがいて名を賴真と言い、9歳の時、金勝寺に入りました。彼は記憶力に優れていて、僧の経を読誦するのを聞くと、すぐ覚えるようになりました。
2019/09/02