2020年3月、世界の政府は世界の経済を「閉鎖」し、あらゆる社会活動を制限した。子供たちの学校教育を拒否し、礼拝や祝日を中止することを決定したとき、恐ろしい巻き添え被害についての警告は後を絶たなかった。それらのほとんどが検閲されていたら。
後日、あらゆる警告が真実であることが証明された。どのニュースの見出しや記事を見てもそうだった。数え切れないほどの家族の悲劇の中に、信頼の喪失があった。
また、産業と人口動態の激変の中にも見られた。ロックダウンの痕跡は、明白なものからそうでないものまで、我々の生活のあらゆる側面に深く刻み込まれた。
実際、あまりにも長く混乱が続いたために、批評家の予測より、その結果はさらに悪いものになった。無限に繰り返されているようだ。学習機会の損失、インフラの破壊、犯罪の蔓延、莫大な借金、インフレ、労働倫理の喪失、商業用不動産の破綻、実質所得の損失、政治的過激主義、労働力不足、薬物中毒など、すべてが運命的な決断につながる。
一見無関係に見える事でも、結局同じ結末にたどり着く。その良い例が、電気自動車(EV)の破綻のニュースだ。
混乱、方向感覚の喪失、投資の誤り、過剰生産、生産縮小、そして全世界を石油とガスから風力と太陽光に強制的に転換させようとする狂った野心は、すべてあの運命の日にさかのぼる。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、「つい1年前まで、熱いEV需要を満たすのに苦労していた。しかし、数か月も経たないうちに状況は一変し、電動化への全面的な推進にブレーキがかかった」
この記事を読むと、記者は好不況の規模の大きさを見誤っていることは明らかだ。
テスラが破綻すると言っているわけではない。ただ、同社は明確な市場セグメントを持っていると言っているだけだ。
EV技術は、米国人の主要な運転手段にはなり得ないし、今後もならないだろう。一時、否定的に捉えられていたが、それはロックダウンによって引き起こされた需要が滞り、悪い兆候による供給管理の大きなミスに正確に遡る要因によるものだった。
振り返ると、2020年春にロックダウンが発生し、強制的かつ完全にサプライチェーンが凍結された。長い間、ジャストインタイム方式によって在庫戦略を進めてきた自動車メーカーには大きな問題だったかもしれない。
その時、まさに旅行需要は崩壊し、通勤も休暇もすべて止まった。同時に、同業界では、事前に取り決められていた政府の補助金やEV義務化が溢れていたが、これらはすべて、後にバイデン政権によって強化されたものだった。
需要が高まるにつれ、小売業者は古い在庫を売却しメーカーにもっと多くの車を求めたが、車両を完成させるために必要なチップが入手できなかった。多くの車が保留となり、ロットは空になった。これは翌年まで続き、中古車価格が高騰し、在庫が枯渇した。
2021年秋になると事態は絶望的になった。その頃、メーカーはEVに対する需要の高まりを認識して、より多くの車両を生産するために工場の改造を開始した。需要を満たすためだけに、パワーステアリングなしで、EV車が出荷されることもあった。
一時は、我々が経験した狂乱の時代が、まったく異なる生き方を生み出したように思えたかもしれない。衝撃と畏怖から生まれた一種の非合理性が、産業と文化を席巻した。EVはその中心的存在だった。
この需要は2022年に実を結んだように思えた。米国人はおそらく新型の道具に挑戦するつもりで、どんな車でも手に入れようとした。多くのメーカーが生産により多くの資源を投入し、多額の補助金の恩恵を受けて、二酸化炭素排出量の削減という新たな義務に従った。
うまくいかないと考える特別な理由はなかった。しかし、翌年、不都合な真実が明らかになり始めた。寒冷地はEVの航続距離を劇的に縮める。充電ステーションは長距離の旅行ですぐには利用できず、充電には予想以上に時間がかかる。
そのようなことを計画しようとすると余分な時間がかかってしまう。さらに、修理を頼むとかなりの費用がかる可能性がある。
テスラは、そのような不測の事態をすべて計画していたが、他の自動車メーカーはそうではなかった。あっという間に、EVの評判はさまざまな面で悪くなった。
「昨年の夏、ディーラーは売れ残ったEVが敷地内を閉塞させていると警告し始めた。フォード、ゼネラルモーターズ、フォルクスワーゲンなどは、EVへの熱狂的な支出から、一部のプロジェクトの延期や縮小に入った」とウォール・ストリート・ジャーナル紙は書いている。
「もっと早くEVを出荷してほしいとメーカーに懇願していたディーラーは、今やそれを断っている」
「要するに、大きな誤算により、自動車業界は窮地に立たされている。EVの供給過剰や工場の半分が空っぽになる可能性に直面する一方で、世界的に厳しい環境規制を満たさなければならない」
今日では、多くの車が赤字で販売されているが、それは単に、在庫を増やすことによって発生するコスト回避のためだ。
これはひとつの業界が経験した壮大な好景気の崩壊だった。不況に終わりはないようだ。最近では、米国で走っている多くの車がEVに切り替わるという可能性について、誰もが諦めているようだ。最近のトレンドはすべて反対方向に向かっている。
一方、EVは、1)セカンドカーとして、2)裕福な郊外通勤者や持ち家所有者に、3)夜間充電可能で、4)寒冷地や旅行にはガソリン車という人たちに、深く愛されている。
EVは、この市場はあるべき姿、つまり、非常に派手な機能を備えた街乗りゴルフカートになりつつあるのであって、「グレートリセット」の模範的な例ではなくなっている。補助金や税制優遇措置があるにもかかわらず、そうはなっていないのだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によれば、「政府の規制、企業の気候変動目標、中国EVメーカーの台頭、そしてテスラの株式評価額は約6千億ドル(約90兆1171億円)などが、伝統的な自動車会社を圧倒している。様々な要因の影響もあり、自動車会社の幹部たちは、社会が劇的にEV化する可能性を見出していたが、消費者という重要なファクターを見落としていた」と述べている。
実際、多くの人が悔しがっているように、米国経済は依然として消費者が自らの利益を最優先に選択できることに依存しており、いくら補助金を出してもその差は埋められない。
この話は、ロックダウンによって引き起こされた幻想を抜きにしては理解できない。ロックダウンは、自動車メーカーに再稼働する時間を与えた。長期にわたって在庫が枯渇した後、人為的に輸送需要が押し上げられた。
「グレートリセット」という馬鹿げた倫理観が、愚かな企業経営者たちに、「これまでと同じものはないんだ」と信じ込ませた。
結局、我々は太陽光とそよ風を動力源とする15分都市(日常のほとんどの用事を徒歩や自転車で済ますことができる都市計画)を手に入れ、当局が我々の運転能力を瞬時に廃止できる「社会的信用システム」を手に入れることになるのかもしれない。
結局のところ、ロックダウン経済は、印刷した紙幣とグロテスクなレベルの政府支出によって可能になったものであり、偽りの繁栄を含めそのすべてが持続不可能だったことが判明した。
洗練された自動車会社でさえ、このナンセンスに乗った。今、彼らは非常に重い代償を払っている。新しい市場は、一時的であることが判明したパニック買いに依存していた。
要するに、恐ろしい政策による幻想は崩れ去った。ウイルス対策を隠れ蓑にした、自由を破壊する政策から生まれたものだ。
新世代の実業家たちが、力ずくで古い実業家たちを追い払おうとした。あらゆる利権がその日を掌握した。これが大失敗であったことは明らかになるばかりだ。
それなのに誰も謝罪していない。誤りを認めた者はほとんどいない。世界を破滅させた大物たちはまだ権力の座にいる。
「気候変動」の予言が正しければ、寒い気候はもう過ぎ去ったはずなのに、これまでと同じ寒さの中を、残りの人々はひとつの町から別の町へと移動する。
移動するのに最適でない車のために高額の修理代を支払う。その預言者たちは、「化石燃料」が必要なくなるとか、魔法の予防接種が我々を殺人ウイルスから守ってくれると約束した人々と同じくらい、正しくなかったことが判明した。
この狂気と破壊の時代に、驚くべき幻想が生まれた。いつか、企業のCEOが専門家に騙されない日が来るのだろうか?
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