社会問題 現代中国に「包公」が必要

【動画あり】中国の絶望の末世にすがる「歴史上の清官」 しかし「泣きつく」のも許されない

2024/10/22
更新: 2024/10/22

中国共産党による統治下の中国に正義はなく、民衆の不満や怨念が渦巻いている。

それでも庶民は失われた「本当の正義」を求めて、千年以上も前(宋代)の中国に実在した清廉潔白な名裁判官(包拯・ほうじょう)に泣きつく。

包拯を祀った廟である包公祠(ほうこうし)や包拯の墓に跪いて拝み、ひたすら「自身が受けた冤罪や不公正な扱いによる被害」を泣きながら訴える。 この「ブーム」は今年3月に巻き起こり、いまでは一種の「社会現象」として定着している。

 

(2024年3月10日、河南省開封市にある「包公祠」の広間で、包公の座る裁判官席に向かって跪いて号泣する女性)

 

なかには、冤罪の「冤」の文字パネルを持参してくる市民もいる。関連動画はSNSで拡散され、「正義がない現代中国」を映し出す鏡のようなこの現象に対して、中共当局は当然ながら神経をとがらせている。

これ以上多くの冤罪が明るみに出るのを防ぐためなのか、あるいは、より多くの民衆がこれを怒りの「はけ口」にすることで、その結果として、民衆の怨みが爆発して収拾がつかなくなり、中国共産党政府にその矛先が向けられることを恐れたからか、いずれにしても、当局は「事態の収拾」に躍起になっている。

「包拯泣きつき」ブームの最中だった今年3月に、一度は「老朽化」と「メンテナンス」を口実に包拯ゆかりの廟や墓を閉鎖するに至った。

画像(左)は北宋時代の清廉潔白で公正無私の名裁判官「包公」を祀った廟(包公祠)で、跪いて拝み、自身が受けた冤罪や不当な扱いを泣きながら訴える中国の民衆。画像(右)は「メンテナンス」を理由に、突然閉鎖された包公祠。(SNSより)

 

当局による「安定維持」の結果、「泣きつく人」が少なくなったためか、包拯ゆかりの景勝地は現在、再開されているが、それでも「泣きつき客」は絶えないようだ。

最近の華人圏で拡散されている動画のなかにも、「包拯」に泣きつく庶民の姿があった。

しかし、そんな庶民たちを、現地の警備員は強引に排除している。正殿入口の警備員は「跪いて拝むのは禁止だ! 起きろ!」と声高に命令していた。

 

 

現代中国に「包公」が必要

今月15日、愛国主義が先鋭化する中で、影響力を強めた中国の反米ブロガー・司馬南氏も包公ゆかりの景勝地(河南省開封府)に訪れ、ライブ放送を行った。しかし、配信最中に突然プラットフォームから「強制中止」になった。その時、司馬氏が口にしていた「問題発言」はこちら。

「今、私たちには千万人の包拯(包公)が必要だ。もし包様が実在ならば、ガシャーン!(ギロチンの時の音)天子であっても犯罪を犯せば庶民と同罪だからな。その場で法に伏してもらいます」

確かに、冤罪があまりに多い現代中国は司馬氏がいうように、「千万人の包拯(包公)が必要だ」。そして、「天子であっても犯罪を犯せば庶民と同罪」というのも包公ドラマにおいて包公のいう決めゼリフのようなもの。

愛国・反米のポリシーを掲げる司馬氏のライブ中断「事件」をめぐっては、「彼は普段と違って、今回ばかりは数少ない良心的な言葉を発したのに、封殺とは実にかわいそうだ」といった皮肉が寄せられている。

(配信中に突然「強制中止」になった司馬南氏の配信ライブ)

李凌
エポックタイムズ記者。主に中国関連報道を担当。大学では経済学を専攻。カウンセラー育成学校で心理カウンセリングも学んだ。中国の真実の姿を伝えます!